富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月九日(火)晴。インターネットを使った悪質なる企業宣伝は先日源吉兆庵にて発生したが(六月二十七日、二十八日の本日剩参照のこと)今日受取りしは80年代バブルの花形システム手帳大手のTime/sytemにて余は1982年よりこれを愛用せしが毎年その翌年のリフィールを購うこと必要にてそのDM送るにTime/system香港はなんと社が保有せし香港がユーザのe-mailアドレス数百人全てをご丁寧にもc.c.にて公示し送信す。これにて余はじめ受信者は顧客データを一瞬にして得る。余りに非常識にTime/system香港に苦情の電話をいれ至急謝罪文を送ることを命じ(善後策などなきことがメール社会の怖さ)ついでにコペンハーゲンの本社にも香港にて発生せし会社信用を墜落させる一事を報告す。ジム。K君トレイルシューズ購ふに割引欲し夕方灣仔Protrekに寄る。永華麺家にて雲呑麺、紅豆沙。晩に荷風日剩昭和八年読み荷風山崎美成(江戸の国学者)の世事百談を読み荷風教へるは漢字の略字にて「盡」を「尽」とするは「盡」の草書体が「尽」にて理屈あふがそれを拠に「晝」を「昼」としたは理不尽にて、また「釋」を「釈」としたは「釋」の音がが「しゃく」故に同音の「尺」を当てて「釈」としこれを仮借といふがそれに準じて「澤」を「沢」にせしは(驛を駅にせしも同じか)「澤」に「しゃく」の音なく不合理。また田を数える一反は一段の略字と知る。
▼長野県のサイトにて田中知事不信任案可決された七月五日の記者会見を看る。記者の質問核心を問へず。長野県政の最も難しき点は現在でも六割以上の高い支持率の知事でありそして県政会を中心とする保守系の圧倒的議席数見れば知事とそれを不信任する議会といふ相対する筈の両者を両天秤にて支持する基盤があるといふこと。そのキャスチングボードこそ羽田孜であるが『噂の真相』の東京ペログリ日記など読めば明らかに個人的には田中親派である羽田でその陣営の県議会議員は知事不信任。羽田の歯切れの悪さもいつもながらこの人らしいが知事選は「避けて通ることはできず、覚悟して臨みたい。いろんな名前が出ているが、(田中氏の)支持率がものすごく高くて、あほらしくて(立候補)できないという人もいる。なかなか難しい」と語り、田中氏の支持率が高い理由として「国民に小泉首相の妥協の姿が見える一方で、突っ張り続けているから」と分析し、 知事選については「理想論みたいに夢を語る田中氏と現実的な若い人が真正面からやったら面白い。ダムを始めとした公共事業が、どうあるべきか全国に問いかける選挙になる」(朝日新聞)と知事擁護なのか非難なのかわからぬ立場。この「現実的な若い人」といふと松本出身で慶應卒、諏訪セイコーより松下政経塾経由して現在羽田センセイの政策秘書……みたいな典型的な保守青年が出てきそう。いずれにせよこの羽田発言「田中知事への対立候補擁立、難航の見通し」と明らかに自らの「保守陣営への」牽制球か。長野は理解に難し。
▼田中知事不信任といえば、それにしても石原慎太郎の「政治、議会運営、行政の運営に人間関係は不可欠だ。(田中知事は)1年ぐらい黙って眺めていた方が良かったが、思い込みが激しい人だから。(脱ダム宣言が)どういう功罪があったのかは、県民の方が詳しいから、私はただ眺めているだけであります」と言うが、そのまま石原に「政治、外交、行政の運営に人間関係は不可欠だ。とくに都知事の立場で外交ぐらい黙って眺めていた方が良かったが、思い込みがはげしい人だから。(日本の侵略行為が)どういう罪悪があったのかは、支那人朝鮮人の方が詳しいから……」とでも言い返してあげるべきか。
▼この富柏村のサイトが月本さんによって紹介された『AURA』でやはり月本さんにより紹介されている神浦元彰氏の日本軍事情報センターは圧巻。築地のH君も閲覧のサイトだったそうだが、ここは毎日読んで世界の軍政の現状を把握するべし。このサイトのなかにある「広島県世羅高校の石川校長は私の担任だった」は高1の国語(いやな言葉である)の教科書の巻頭に載せて全国の高校1年生に読ませたき名文。
▼知人より「じっとう」なる語を聞きワープロ変換も出来ず広辞苑にもこの言葉なく何かと思へば実地踏査の略にて国内でもいくつかの教育現場にては「キャンプ実踏の模様」なんて使われ方するが世の中にては通じぬ言葉にて広辞苑にて「とうさ【踏査】実地を踏んで調査すること。」とありそれなら実地踏査は「観梅を見に行く」が如き言葉重複あり踏査一言にてよいかと思いつつふと気になり歴史をさかのぼれば実地踏査なる語は明治十八年沖縄県知事尖閣列島の領有権につき内務卿に国標建設を上申するとともに出雲丸により実地踏査を為すといつた用例見られその後、国策と相まって台湾、樺太満州といつた実地踏査が行われそれをもとに<帝国>が拡大していく、という歴史的背景あり。近代の教育が国家主義と相関することは社会史が明らかにせしことなれどこの言葉もそういつたイデオロギーが教育に「自然に」持ち込まれ教育現場にて「のこぎりくわがたの採集につき上新田の神社の実踏」といった<定着>がなされてきたことと察す。