富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月二十一日(土)曇。香港一年のうち最も湿度が高く不快な日、愛猫のPHコントロールの成猫餌を購い、晝から風呂屋で按摩、数日前の新聞を拾い読みすれば劉健威氏も先日の『哈哈上海』をドキュメンタリとしての質に厳しく疑問呈し、デリカシー欠ける監督本人の出ずっ張りよか華のある実母撮るを勧める、然り。Z嬢と尖沙咀Dan Ryan、ここの給仕の仕業は正に香港一、酒を注文し別な給仕頭が食事を尋ねてきたが注文を聞き終われば「お酒はまもなく参りますので」などと、見えぬところで給仕全体が店の卓毎の流れを理解、天晴れ。香港映画祭も楽日にて台湾は楊徳昌の『一一』Yi Yi、台湾映画といえば都会人の孤独と病ひ(80年代まではそうでなかったが他にないのかテーマは)、張震の出ない楊徳昌映画は初めて観るもの、なぜこの都会人の孤独と病ひで172分も要るのか、と思えば家族郎党の夫々の成員のいろいろな物語をすべて含んだからで、これは短く編集できぬし、この長さがいるのだろうが、けして好!とは云えぬ出来だがまぁまぁ、キーワードは扉と窓、成員はそれぞれがマンションから出て(外の世界で何かが起き疲れ)戻り、また出て戻りと延々と扉の開閉が繰り返される、しかも重要な点はその家族が一度として誰かと一緒に出入りせず必ず独り、そして窓、成員がどんなに苦しもうと悩もうと窓からは光が射している、雨の場面なのに家に入ると柔らかな陽射しなのも敢えてか、それにしてもこの都会の病ひなるテーマ、そして構造主義的、記号論的な解釈はすでに陳腐。このテーマはロバート・デニーロタクシードライバーにせよウッディ・アレンにせよ、日本でも『家族ゲーム』でも『逆噴射家族』でも、香港ですらある面では王家衛の『阿飛正傳』、もう出尽くす。映画終わりシェラトンホテルにて作家の(というか競馬であれ狂言であれ資本主義社会についてであれ一つの完徹した自論がperspectiveしている点で「言論人」と云いたいが)月本裕氏、月刊『ハロン』編集長のH氏、穴馬的中師のN氏。月本氏がこのサイトをご覧になり、競馬だ歌舞伎、しかも『東京人』で邂逅したH君などまるで内田魯庵モード、便り頂戴しの一会となる。