富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月十九日(木)曇。中央アジアキルギスタンのAktan Abdykalykov監督のBeshkempir(英題はThe Adopted Son、中題は吉爾吉斯少年行)、今回の香港映画祭の中でこれが私の最優秀映画か、この監督、かなりエロスに対して思い入れと美学があり、子どもを撮ることでは『みつばちのささやき』のヴィクトール・エリセか黒澤明か、視線がかなりエロチック、少年を不安定な美としてとらえ少女は棟方志功的に少年を包む母性として映し、欧米や日本などの先進国ではこの映画など児童ポルノの範疇とされる惧れもあるか、少年たちが性に覚醒るあたり、その欲望と少年たちの性欲=いじめ(政治性権力)、祖母の死での葬儀を通過儀礼として大人の男に成長していく姿を見事な描写、じつにきれいな白黒でのキャメラ、とくに乾燥したキルギスタンの田舎の村で太陽に燦々とする光と水を静かな銀幕に映し(途中、意図的に使う天然色場面は不要)、レニ・リーフェンシュタール的に観客がぐいぐい映像に嵌り込んでいく。後半の葬儀の場面は82分の映画で長すぎるかと思ったが一旦は性への覚醒めと「雌の獲りあい」で断絶した少年たちの友情が葬儀で、しかも一老婆の死を村全体が哭いてともらふ、その演技とすら思えぬ泣き顔を映すにはあれくらいの長さが必要だったし、あの葬儀の場面の長さでラストでの成長した少年までの時間的経過でもある。Abdykalykov監督、これくらい映画の中に「まなざし」を込めることができるとは、変態だ(いい意味で)。こんな映画がキルギスタンから出てくるところが世界映画祭の面白さ。或る会合にて日本人倶楽部にて桜膳を頂く。先付から造り、焼物、煮物と懐石風に春めいた食材(鯛、ぜんまい、蕗、菜の花、花大根、細魚)と調理でうまくまとめ予想以上に美味、ただお膳で出てきてあら春めいた鮮かさというのもいいが、懐石風にきれいな料理が次々と出てくることでの艶やかさもいいかと思う。
それにしても歴史教科書の問題は、この教科書が水道橋にでもあって靖国神社のほうを仰いだ極小出版から出たならまだしも、扶桑社=フジ産経から出ていること。そしてこの会も出版社も然ることながら、この出版を消極的であれ許容している日本社会がもっとわからない。戦後50年以上たって「国のかたち」なるもconstitutionも作れず、まともな政治や経済政策もなく、問題を解決できないどころか問題の在り処さえ気がつかない。ただ小津の映画の世界のように日が過ぎてゆく。問題は小林よしのりでも産経でもなく一木一草に宿るその不感症的な許容性……。
まほろばにうごめく虫のいたずらに すめらみことの邦(くに)ぞたたえむ