富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月一日(日)曇。旅行中の配達を止めていた新聞がまとまって玄関に届き、起きがけで瞭然とせぬまま何時の日の新聞かも判らぬまま一面に成駒屋道成寺の写真、咄嗟に歌右衛門の逝去と覚醒、日を見れば本日の新聞にて逝去は三月末日に84歳、最後の舞台は平成八年夏於国立劇場の関寺小町、坐ったまま小町を舞ったもの、何よりも惜しいのは平成七年に島田正吾と共演した建礼門院、朝日には当然ことのように渡辺保君は書かず、語らず、それにしても團伊玖磨に哀悼を語らせるは如何か朝日の見識欠けるもの、一番読みたかったのはもし三島が生きていたら三島の綴る歌右衛門哀悼。歌舞伎といえば築地のH君より報せあり平成16年の新之助の11代目海老蔵襲名も道理、翌17年の勘九郎の18代目勘三郎襲名もこれは中村屋の実力と功績からして当然としても、なんと230年ぶり!に四代目坂田藤十郎(日本史の教科書か)を同17年に鴈治郎が襲名、それに伴い翫雀(全く印象なき役者)が四代目鴈治郎、そして大ニュースは来年いきなり辰之助が四代目松緑を襲名とはこれは無謀、先代もあの世にて孫可愛さとはいえあの芝居っぷりでは役者としては容せないであろうもの、松竹話題づくりは襲名披露の大安売りだけとは最早末期症状、会長永山君の二代目大谷竹次郎襲名でもしては如何か。MJQはミルト=ジャクソンに次ぎジョン=ルイスも逝去、香港での公演は96年か。朝日新聞の活字がまた大きくなり、比例して内容が軽薄になるのは今日に始まった事ではないが、世界の高級紙としてヘラルドトリビューン紙と提携し日本にてヘラルド朝日なる英字朝刊も創刊、無駄、この創刊をぶち上げし折に紙名を「ヘラトリ朝日」と云い「所詮、箆(へら)にて掬(すく)った程度の内容を自ら揶揄したか」と嗤ったが流石に「ヘラトリ」の野暮っ汰沙に気づいたか。シンガポールで学校内にゲーセン設置が流行り、学生をゲーセンでの非行から遠ざけるとは滑稽、ゲーセン(非政治装置=無政府状態)に非行あり非行との遭遇こそ成長過程での一環、学校なる政治装置下でのゲーセンほど危険なものはなし。