富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月八日(日)湿度百度の曇空。ふと最近、山口瞳の『江分利満氏の優雅なサヨナラ』を読んでいる。週刊新潮に連載していた「男性自身」の逝去直前の部分だが、連載していた頃はほんときらひな随筆だった。氏が毛嫌いする部分(その対象たる人)への悪意にも似た不快感と、と高橋義孝吉行淳之介といった「先生」への順尊ぶりの、そのが鼻についた。それよりも何よりも氏の成人式の日のサントリーの広告で若者に一言述べる一言を小学生の頃から読む度に何かあの尊大な態度が厭だったし、あれだけ蘊蓄と頑固さ一辺倒の人が酒となるとサントリーしか飲まず(それは赦そうじゃないか、サントリーが『洋酒天国』の元発行人だ)、エッセイの中でバーに入ったクダリでいちいち「山崎の水割りを飲んだ」とか書かれるのが全く不快だ。せっかくのエッセイが山崎の水割りと云われただけで不味くなる、せめてロックだ。しかし氏にいちいち怒りながら、それでも読んでしまう。いくら男性自身というタイトルとはいえあのmaleというgenderに依存した姿勢が嫌だ、でも女性に嫌われる男性たちにはいい主張だったのか、何が嫌だって怒りながら、それでも読んでいる時分がもっと嫌だ……と文体まで氏になってしまったではないか。イチローが活躍している、それはいいが、イチローの活躍で、何かしなければならないことを忘れハレになって精算を勝手にしてしまう日本のイチローファンはダメだ。イチローは、野村証券にいてシンガポール駐在の時に「このままじゃ自分の才覚がダメになる」とジャパニーズファームを見限り非日本の投資金融に移ってしまった投資家と何も変わらない、彼は日本のためにメジャーで働いているのではない、勘違いしてはいけない。四月にはいってからの朝日新聞のイメチェン、悪口ばかり書いたし、旧に敵方の中曽根康弘君に長論を書かせたり(字が大きくなったので必要以上に紙面を占めたのは無駄だったが)石原慎太郎の人気を積極的に読解したりと、あんまり見方がフガイないので敵方を使う戦術に出たのは分かる気もするが、朝日側がそう思っても未熟な読者は中曽根君の強い日本の論を読み騙され結局読売新聞の読者になってしまうのだ、きっと。読書欄はいい。小林信彦が語る荷風の日乗もいいし、岡崎武志なるライターの梅宮アンナの?本の梅宮アンナなる名に「牛丼にホワイトソースをかけたみたいな」という形容もいいし、紹介する本はサイードの自伝(A Memoirは和訳は『ある記憶』であって、それを『遠い場所の記憶』なんてまた大袈裟にしたみすず書房は有罪)であったり(それにしても何故、この本が4300円もするのか?、原書はUS$26.95、香港でもHK$180だった、1,000円高いのは翻訳だからなのか)、写真家メイプルソープの背徳の伝記であったり、ゴダードであったり、読書欄は腐っても朝日、か。翻訳本につひに原書のタイトルを英語で搭せたことだけでもありがたい。CDもそうしてくれないか。