甲辰年五月初七。気温摂氏18.5/29.3度。晴。福島の伊達で摂氏35.2度を記録(伊達は家人の佐倉に住まふ父の郷里)。
岩波書店のX(Twitter)でこの表紙を見たときは何だこりゃ?とあばらかべっそん。『ダライラマ六世恋愛詩集』で、これは岩波文庫の表紙ではなく表紙の上の販促用の帯といふかカバーであつた。そりゃ目立たせて普段の岩波文庫の読者ぢゃない層を狙つたのだらうが、それにしてもなんて耽美。
一般に化身(ここではダライラマを指す:富柏村註)は幼少の時から(チベットの次の数十年を担う存在として)英才教育を受ける。両親の許を離れ、僧侶に囲まれ、まったく俗世と異なった世界で養育され、宗教指導者としての人格を形成していく。稀にその重圧に耐えられない化身もいるが、ほとんどの場合には周囲の周到な配慮により、宗教的なカリスマを具えた宝と呼ばれ、民衆の崇拝を一身に受ける僧侶として育っていく。化身は、生まれつきのものではあるが、それ以上に養育されたものである。(今枝由郎)
ところがダライラマ6世の場合、その特殊な背景*1幼少期の養育が十分にされず突如、観音菩薩の化身でありチベット仏教の最高権威となつたのだから重圧だつたのは当然。1702年に彼は数への二十歳で正式な僧侶として具足戒を授かる歳となつたが、それを拒んだばかりか周囲の説得も受け入れず還俗。歴代のダライラマで史上初、唯一の例外となつた。
イエズス会宣教師*2が残した記録文書にもこの還俗のダライラマについての記録があるのださう。
ダライラマ6世は、放蕩の若者となり、あらゆる非行癖をもち、全く堕落しきって、救いがたいものになっていた。彼は頭髪に気をつかい、酒を飲み、賭けごとを始め、とうとう娘や人妻、美貌の男も女も、彼の見境のない不品行から逃れることは難しくなった。
この恋愛詩は詩心などほんとうに乏しいアタシでも一寸うっとりするほど艶かしい。だが文庫のカバーのやうな後世こんな外見の美化は先日の日剩(こちら)で見た通り勝手なものである。
香港の終審法院(最高裁)で英国籍の非常任裁判官が辞任。香港の法治の危機をFT紙に寄稿。法治世界の者にとつては極めて常識的な香港司法への憂慮。だが香港政府=中共🇨🇳にとつては香港の法治に対する偏見に満ちた意図的な罵詈雑言と映る。