富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

銀座余情

陰暦十月廿六日。気温摂氏5.8度(水戸)/ 18.5度(東京)。晴。東京駅は「これほどか」の人混みなのだが連休でもなく通常の週末土曜の午前中のはず。新橋。昼前にニュー新橋ビル地下〈カレーは飲み物〉で黒カレー中盛り飰す。カレー屋、韓国料理屋とかの安っぽい鉄製のスプーンの舌触り苦手で(資生堂パーラーとか銀製なら平気)今日は予め自前で木製のスプーン(無印)持参。一度食してみたいと思つてゐたカレー屋だが昼時はいつも新橋のリーマン、職工で爆満。カウンター8席ほどの店だが昼の早めのはずがもう、四、五席埋まつてゐた。渡邊版画店。茅ヶ崎での渡邊庄三郎展につき招待券いたゞいたので観覧させていたゞいてのお礼お伝へする。何よりも巴水の作品で随分とわかつてゐたつもりが最後に役者絵がずらりと並びラストが大成駒の昭和26年の歌右衛門襲名(雪姫)であつたこと。もう今の人はあの役者絵を見ても役者と演目の誰の何かわからないでせうね、と奥様。観世能楽堂。「能と狂言」と題して午後と晩に能と狂言それぞれの舞台で、いずれも村上湛君の講話から。能の部を拝見。能は〈山姥〉でシテが大槻文蔵師で間狂言に入るのが野村万作師。囃子方は大小が亀井忠雄師に大倉源次郎師。太鼓(三島元太郎)なので所謂「人間国宝」総勢五人が舞台に。こんなことが実現するとは。笛は松田弘之師なのだから、こんな舞台は今年の格別だらう(ワキは福王茂十郎)。


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みなさまには故郷といふものがござゐますか?と湛君の話は始まり「鬼」の話で秋田のナマハゲ👹までいつてしまひ、そこから何う〈山姥〉に還るのか?と思つたが、さすが見事に鬼の話から能の元である大和猿楽に紐解き猿楽から京都の能に至る中での〈翁〉と並ぶ「鬼の芸」の大切、しかし世阿弥は鬼に纏はる話を嫌ひ、それを最下位に置きながらも「鬼の芸」を昇華させ、そして傑作の〈山姥〉が生まれたことを物語られる。この間わずかに20分。これは、またお見事。もはや名人の話芸である。
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本日の〈山姥〉番組はこれ一つ。これで十分。アトがあつたらまさに興醒め。銀六の能楽堂を出るとまだ夕方で明るく数寄屋橋まで歩きサンボア。ハイボール二杯。外に面した店で昏時の一盞ほどうまいものはない。近くにロックフィッシュ。コリドー街にあつた当時、愉快な店だつたがタバコの煙がもはや煙害でハイボールが出される迄も居た堪れず辛いものあつたが何年だか前に移転して(ニュー銀座ビル一号館)こちらは禁煙だといふことを前回、数寄屋橋で津田さんに聞いてゐたので今日はロックフィッシュも。こちらのハイボールは何なのだらう、何かおかしなものが混ぜてあるの?といふくらゐ不思議な美味しさ。サントリー角、ヰルキンソンの炭酸水で陋宅でもサンボアでもこちらでも皆一緒なのだが。

土橋を経て国電のガード潜り再びニュー新橋ビル。こちらの地下に蓼科の清酒〈ダイヤ菊〉供す飲み屋あるのを今日の昼に見つけて、それで探訪。だが惜しいかな第三の土曜日はお休み。ダイヤ菊はアタシがまだ日本酒の旨さなどわかるはずもない小学生のときに福島の温泉だかに自動車で向かつた先考が山間の酒屋に〈ダイヤ菊〉の看板を見つけて「まさか」と喜んで一升瓶を大切さうに買つて帰り「これは美味い」と恭悦だつたのを子どもながらに覚えてゐるのだが今日までまだいたゞいてをらず。蓼科といへば小津安二郎だが小津監督のこの酒をこよなく愛したといふ。新橋鶴橋で寿司でもつまんで、と思つたがサンボアからロックフィッシュにハイボール3杯でいい加減けっこうな酔ひ心地で気分は野村万作師の向上の笑み。ならば帰ることとしようと存ず。水府への車中、渡邊版画でいたゞいてきた『銀座百点』11月号読む。噺家の小朝は若い頃からさすが芝居もよく見てゐる。小朝が芝翫との対談。当代の芝翫も「神谷町」と呼ぶのかしら。もうあそこにお家はない?

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他に寄せ文字の橘右子吉の連載が面白い。かつて公家の遊興だつた「楊弓」が江戸時代になると庶民の祭日の「的屋」(まとや)となり、これの音を変へれば後に露天商意味する「テキヤ」に。また的屋は「矢場」で矢場で弓を解消する矢取り女の仕事が危ないからアブナイ場所を矢場と呼ぶやうになり、これが「ヤバい」の語源とか。寄せ文字といふとアタシらの世代はまだ現役で橘右近がゐて弟子が左近だから、この右子吉はもう右近の孫弟子かと思つたら右近師匠の直のお弟子で左近の弟弟子に当る。水府まで特急で1時間余ぢゃ『銀座百点』通読が精々。