富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2017-08-09

農暦閏六月十八日。昨晩の四川省九寨溝での大地震で東京から関係者の被害は?と確認入る。夏の観光シーズンで同地訪れる邦人も少なくないが安否確認なるもの、どこまでが本当に心配で、どこからが「確認できてゐること」への自己防衛なのか、よくわからぬ。夕方、養和病院。左耳の中耳炎、前回は別の医師に診てもらつた脇の下のリンパ腺?の腫れでC医師の診断を請ふ。今回は抗生物質の服用は要らないでせうから、と言はれたが薬局で処方された薬の説明を受けると耳の外用薬も皮膚クリームも抗生物質入りであつた。SOGOの東京メガネでいつもかけてゐるメガネのテンプルのメッキが剥げたので再メッキ依頼。

森友学園の問題では、教育を仕事とする者として、社会が特定の思想に支配されている側面を見ました。加計学園の問題も取りざたされていますが、日本の教育が根の深いところでゆがんだ実態が表れた点で、より深刻に感じています。森友学園の幼稚園では、教育勅語を暗唱させていました。民主教育を掲げる教育基本法に反し、戦前の軍国教育への復帰です。盛り込まれていた親孝行や友達を大事にする点などを挙げ「今も使える」と主張する人も出ました。しかし国家に一命を捧げるという大目的が間違っていたのであり、一文字も使えるところはありません。学園の教育は、一過性の訓練主義的な内容で、小学生になった子どもたちに成果がなかったのでしょう。だから、自分たちの教育を発展させようと、小学校を建てることにしたのです。これを首相夫妻を含む多くの人々が支えようとしていました。さらに教育勅語について政権は、今回の問題をきっかけに、教材としての使用を認める閣議決定にまで至りました。これには、怖さを感じます。実は日本の教育は、世界の潮流に取り残され、孤立したガラパゴス状態です。大人のカリキュラムを子どもに注入し、どこまで習得できる子にするのかが教育だと考えられています。