富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

永六輔氏逝去

fookpaktsuen2016-07-11

農暦六月初八。来客あり午後、空港にお迎へに。到着ホールで何だか音楽系イベントの宣伝で雑踏の中にステージ組んで演奏中。ステージにはSteinwayのコンサート用グランドピアノ。こんなところにこんなピアノ運んできて音も満足に聞こえないのに勿体ない、楽器が可哀想。客人とは10年ぶりの再会。香港には数回来たことがあるが観光もしたことがない、と仰るので空港からホテルに送る途中にピークへ。平日の午後とはいへピークトラムの下りは待ち時間なしなほど客も少なく10年ぶり?で乗る。FCCのメインバーで少しお話してから北角のホテルにお連れして早晩に甘飯館に数名で会食。
▼昨日の参院選有権者の半数余しか投票に行かず。戦後の自民党史でいろいろな意味で「最も危ない」安倍晋三が返り咲き政権で四度の国政選挙制し嘗てない一強体制をなぜ作れるのか。民草が何を晋三の自民党に託すのか。今回の選挙は安保関連法制の強行や立憲政治崩壊といつた大きな懐疑あつても、それでも民草は動じず。

安倍政権下での改憲に反対の人は多いのに、それが投票先を決める理由にはならない。給料は上がらず物価は高くなってみんな生活に苦しい中、今の政権に何とか良くしてもらえばという気持ちが日本人の中にあるからだ。経済状況が悪くなると、人々は国家権力に頼っていく。生きるということに対して無関心な人も増えたようにみえる。(澤地久枝

選挙区選挙では自民36に対して民進21で3年前に比べれば野党も健闘、改選数2以上の選挙区では自民15、民進14でほぼ互角だが大阪と神戸は自民とお維の関西ファッショ。1人区で公明党支持層の24%が野党統一候補に。20歳以下の半数が自公に投票。投票率が最も高い都道府県は長野、次いで山形。最も低いのが(低い順に)高知、徳島、広島。香港でもアタシの周囲で日本人でも選挙は話題にも出ず。出さないのがエチケットらしい、出すと自分の政治的な見方が露骨になるので個人情報の扱いは慎重に、か。
永六輔氏逝去。享年八十四。1980年代後半だつたか仙台で永さんを迎えての小さなトーク企画あり。企画したTさんが「トッピクスは全く打合せもできてゐない」と苦笑してゐたが福岡からだつたか鉄道でかけつけた永さんはいきなりイントロなしで『女大學』の話。福岡でこの江戸時代の女子訓書の話になり早速、東京の事務所にこれを調達させ東京の驛で受け取り仙台まで読みながら来た、といふ。それでそのネタでトークできるのだから恐れ入るばかり。会場は仙台の一番丁と広瀬通の角にあるフォーラスといふビルの中の貸しホールだつたが隣のライヴホールのロックの演奏五月蝿く永さんがどこでもいゝから静かに話できる場所を見つけて、とTさんに命じて楼上のカフェバーに移ることになり、そこに行く間もずっと話を止めなかった永さん。その数年後、昭和も終はり近く、原宿ラフォーレで原宿文楽文楽の公演始まつたら背後の席の客が話を止めない。文楽の話をしてゐるのだが義太夫を邪魔するやうな声で、あれ?と思つたら永さん。この文楽公演に盲人を連れてきて盲人に人形の動きや情景を説明してゐる。さすがに「うるさい」とも言へない。もう一つ、印象深いのが永さんが語つた坂本九ちゃんの思ひ出。六八九トリオで中村八大が逝き、坂本九御巣鷹山の飛行機事故で亡くなつたが坂本九がいくら仕事のためとはいへ自民党代議士のパーティの司会なんて節操のない仕事をするための大阪行きで、と亡くなつた無二の親友にまで、こゝまで厳しく指摘するか、と。どれもこれも本当に印象的。あの甲高い笑ひ声、とくにタモリやオスギ、久米宏といつた相手がなよなよ系相手のトークだと俄然、それが勢ひづく、あの愉快さが惜しい。ザ・ピーナッツ伊藤ユミさんも逝去。享年七十六。昭和も遠くなりにけり。ザ・ピーナッツで作詞が永六輔といふのも何曲もあるはず、と思つたがヒット曲では『若い季節』くらゐ。ザ・ピーナッツは何といつても岩谷時子なかにし礼だつた。