富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一国二制度のほころび

fookpaktsuen2014-09-22

農暦八月廿九日。扇風機もかけず寝汗もかゝず肌寒くタオルケットかけて寝てゐたが目覚めてみると気温は摂氏25度。今日の台湾の朝刊こそ大型台風被害のニュースか、と思つて台蘋開くと今朝の一面トップは韓国仁川でのアジア大会の女子重量上げで台湾(中華台北)の選手が金メダルで而も世界新記録達成の由。台湾は国際社会での地位確立でスポーツで台湾選手の大活躍ほど嬉しい出来事他になく台風で600mm超す大雨に見舞われても(屏東の西大武山など999mm=観測不能)新聞はさうなるか。ところで連日この面白くもない日剰を二百余名の方がご覧になつてゐるが昨日は突然それのヒット数が五百超……恐らく王菲謝霆鋒(ニコラス)復縁でのヒットか、と。それと、この日剰、長年一日の漏れもなく綴つてゐるはずが、ふと二〇〇五年の三月で十日だけ漏れてゐることに気づく。先考亡くなり二日後のことで翌日の納棺、火葬となるが、当時の日記は富柏村のサイトに日記残つており今更ながら埋め合わせ(こちら)。

誰は呼んだか誰は弔報忘れていないかと話していたらはっと「カレンちゃん」と母と妹が顔を見合わせ誰かと思い返せば二十年ほど前に郷里の花街でかなり評判のフィリピンからのホステス嬢で昼は英語教える才媛。父もかなり贔屓にし彼女なら弔報送ればフィリピンからも来てくれるのでは?と思わず皆で懐かしく笑ふ。

といふ、その日のこと懐かしむ。夕刻からかなり諸事に忙殺され疲労困憊ながら大根おろしと韮の鍋で豚肉しゃぶしゃぶが美味で幸せ。
▼日経夕刊の「こころの玉手箱」でユーミン。中学生のころに買つたボブの鬘の話。中学生のときに夜遊びで、自分のベッドの枕にこの鬘を置き布団の下に服など詰め込み寝てゐるやうに見せ八王子の荒井呉服店裏の螺旋階段を下りて(そこまで詳しく書いてゐないが)八王子から四谷に出て飯倉のキャンティまで歩いたといふ。中学生がキャンティ……で並の不良少女ぢゃない大物ぶり発揮だが四谷から飯倉まで歩くとは……しかも「何十分」て、そんな距離か、と疑つたがGoogle Mapで四谷駅から飯倉のキャンティまで紀尾井町から見附、山王下、麻布箪笥町抜けて歩くと徒歩で41分、とあるからユーミンの「何十分」は誇張でない。さすが。でユーミンキャンティにも出入りした上に「スペイン村」に鳩まるヒッピーたちとの交流が自分の音楽の原点、と。麻布、六本木が素敵だつた時代。
▼日経の地球回覧といふコラムで香港から「香港民主化熱、裏に閉塞感」と書かれてゐることは概ね真っ当だが「一国二制度は18年目にしてほころびが目立ち始めた」って綻びなら董建華の二年目を待たないころから随分と綻んでゐたと思ふのだが。何も昨日今日悪くなつたわけぢゃない。