富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

恵比寿から広尾、麻布に歩む

fookpaktsuen2012-01-26

農暦正月四日。晴。今日はアタシにとつて特別の日。生まれて初めてリップスティックを最後の最後まで使ひ切つたのだ。今まで何十本、途中で失くし使はずに放置して劣化して……で人生初の快挙。さて本日。麻布の旅寓で朝餉済ませ地下鉄で築地。豆を売る山本商店は節分前で賑ふ。Z嬢が行くと「よ、お姐さん、待ってたよ」といつもの愛嬌のあるオジサン。それと日高昆布購ひ旅寓に戻り荷造り。部屋引払ひ麻布で浪花屋のたい焼き頬張り地下鉄で目黒。昨晩ふと「トンカツが食べたい」で目黒となつたのだが「とんき」は夕方四時からといふ大切なこと失念。失望のあまり「さういへば吉牛も食べてゐないよね」と駅前の吉野家で牛丼。270円×2で昼が済んでしまつたしウエストで珈琲とケーキでも、と吉野家を出てウエストに向けて歩きだして角に「かつ壱」あり。アタシの東京の土地勘がもかなり危ふい。トンカツ食べたら食後にウエストのシュークリームは食べられなかつただらう、と何事も前向きに。高校生のとき代ゼミの夏期講習さぼつて一人でこゝに来てゐた。当時とても広く感じた空間が狭く見える。坂の向こう側がすつかり高層ビルになつて景色が暗くなつたかしら。それに階下に薬の安売りチェーンがあるなんて。目黒シネマがまだ健在。Z嬢はこゝで「ミツバチのささやき」を見たと懐かしむ。もう四十年近く前の作品。山手線で一駅の恵比寿。西口から渋谷川に出て恵比寿新橋商店街を歩む。すつかり風景も変はつたが「にんにくや」はもう老舗。明治通りを渡り広尾の商店街。広尾湯の煙突から煙がもく/\。昭和の終り頃に恵比寿に住み広尾で仕事してゐた時期があるので懐かしい界隈。有栖川公園から中国大使館の手前を曲がり元麻布らしい細い坂道を下るとぽつんと栗原酒屋。福正宗のにごり酒酒粕購ひ旅寓に戻る。恵比寿から麻布鳥居坂まで歩いて帰つたことになる。遠そうだが1時間余。六本木から津久田まで、津久田から浅草までチョートク先生が歩かれるのと一緒。タクシー自動車雇ひ羽田へ。六本木五丁目の交差点から飯倉で首都高に入る抜け道の判断だけでも素敵な運転手氏が拡張される羽田で高速からの道路標識が「信じるといかに迷うか」話を聞かせてくれて面白い。国際線ターミナル湾岸線の空港中央からだと1号線の空港西に比べ料金で1千円以上高くなるといふ(1号線が渋滞してゐないのが前提だが)。CX549便で香港に戻る。機中読んだ、久が原のT君からいたゞいた茶道の江戸千家の月刊会報誌「孤峰」で村上湛君の芸能百花撰で読んだ「椿」扱つた「八千代の玉椿」が実に面白い。帰宅してすつかり旅荷片付け。機内から読んでゐた、きだみのる著「道徳を歪む者」読了して寝る。
きだみのる著「道徳を否む者」は今の感覚からすると全然、道徳を否んでなんかゐない、本当にピュアな少年の物語。鴎外のヰタセクスアリスより問題作ですらない加茂。たゞ主人公=きだみのる山田吉彦が預けられた叔父宅から家出し函館のトラピスト修道院を目指し偶然にも其処で病気療養してゐた東京帝大で希臘文学教へるフランス人と出会ひ、それが駿河台にアテネフランセ設立したJoseph Cotte氏。独居の老文学者宅に寄寓しコ氏の寵愛を受けた吉彦少年はフランスに留学し……で、のちにファーブルの昆虫記、レヴィ=ブリュルの『未開社会の思惟』を訳す大家となり「きだみのる」としてのあの半生も他人に真似出来るものではない。さういふわけで読む人が読めばどれだけ道徳を否んだこともあつたか、と行間から察するも能ふところ。ところでこの書物は昭和30年に新潮社から出た初版本で「壱時間文庫」といふ、久が原のT君はこれを「チョンの間文庫」と言つて笑はせてくれたが巻末のラインナップ見るとトインビーを健一さん訳で「世界と西欧」、「現代人のための音楽」なんて一冊は著者が「河上、芥川、吉田」としか書かれてゐないが、この苗字だけで徹太郎、也寸志、秀和と思ふだけでぞく/\するだらう。ボーヴォワール「サドは有罪か」、由起夫「若者よ蘇れ」、義孝「森鴎外」、健一「東西文学論」と食指動くところ。