富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

毎日、放射線量測っています!とNHKで山本太郎。天晴。

fookpaktsuen2011-11-17

十一月十七日(木)午後より雨。早晩に西湾河。太安樓通ると先日、蘋果日報に一面トップで「公廁牛雜檔」公衆便所に食材貯蔵と報じられた基記水電工程は牛雑の屋台ばかりか、体面もあり半坪ほどの水電道具屋も閉じたのでは?と思つたが昔のまゝに夫婦で牛雑の屋台で商売忙しく行列が出来るほど。夫婦も大したものだがあれだけひどく報じられてもこゝの牛雑喰らふ客も立派。アタシも戦後に育つてきた当時の不潔さを思へば、と今更で一串食らふがやはり美味。西湾河は、といふか北角から柴湾までの東区の不幸なのだがパブも無く(唯一、太古坊と北角のFocus Barくらゐか)コンビニで麦酒立ち飲みしてZ嬢と待ち合せ。医者嫌ひ注射嫌ひのZ嬢をC医師の診療所に連行して流感の種痘をば注射してもらふ。帰宅して豚汁と白菜の蒸し鍋。岩波「世界」十二月号読む。夜更に大雨となる。
▼岩波「世界」十二月号で新城郁夫「沖縄の傷という回路」が印象的。

安全と復興を謳いあげる「頑張れ日本」といった言葉が、日本という危機あるいは日本という国家の危険性そのものを覆い隠していく事態。(略)日本の危機ではない。実感しているのは、日本という危機である。民主主義をはじめとする政治の基盤を切り崩してきた日本の、その国家暴力の末端に繋ぎとめられてしまっている沖縄に生きる人間にとって、日本という国家そのものが、私たちの生存権を侵犯する政治的暴力として痛感させられるのである。

と。朝日新聞に連載されてゐる「プロメテウスの罠」読んでゐても日本は中国のことを言論の自由がない、とか超管理社会と嗤つてゐられない現実をば痛感。仙谷ぢゃないが暴力装置としての国家そのもの。フランスなら国家の暴力性なんて常識として大学の一般教養レベルだし英国の大学で政治学を学べば暴力装置なんていふのも野暮なくらゐ「その先」で物事考えさうだが日本だとお話にならず。

世界 2011年 12月号 [雑誌]

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