富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-03-28

三月廿八日(金)雨。湿度100%に至る。本日と明日、中環の(今では粗呆区の西端に位置する)前荷李活道既婚警察宿舎(Former Police Married Quarters at Hollywood Rd)の施設開放日。19世紀此処に中央書院あり。孫中山など輩出する、後に皇仁書院として現在に至る。1950年代に学校跡地にこの警察宿舎建立され80年代に閉鎖(参考資料)。文革曽・行政長官は父親が警察官で幼い頃ここに育つた由。宿舎跡地は奇跡的に「再開発」免れ現在に至るが集合住宅として再利用も出来ず解体待ち。午後6時までの開放に滑り込みで15分ほど見学。先に参観中のZ嬢と合流。どうもこの界隈から太平山にかけては「気の強さ」感じる。久々に蓮香樓にて夕食。卵焼き、牛腩と大根の煮物など。美味。Z嬢と別れバスで旺角。星巴珈琲で一時間半ほど読書。朗豪坊の映画館にて『無野之城』なる香港映画看る。香港ではあまり=ほとんど関心もたれぬ野球だが、その香港代表チームを舞台にした話。劉國昌なる若い監督がその野球選手から聞き書きした実話のエピソード脚色した筋。100分の長さで選手らの人間模様盛り込み過ぎて散漫。だが演技はズブの素人のはずがほんと表情豊かに赤裸々の演技は大したもの。三更半夜バーSに寄り一飲。深夜空腹覚え利苑にて雲呑麺食し帰宅。
▼日本カメラと朝日カメラが4月号で同じく桑原甲子雄追悼。アサヒカメラに荒木経惟撮影の個人の横顔あり。こんな素敵な桑原甲子雄は見たことがないほど素敵な写真。日本カメラの追悼(谷口雅による)は語る……1970年代に写真雑誌の名編集者であつた桑原氏の戦前の東京のスナップ写真が「発掘され」1975年に銀座のニコンサロンで写真展開催されたが、その時のプリントは荒木経惟さんによるものだつたはず、と。
手荒なプリントなのだが、桑原甲子雄さんの写真を雰囲気を決めたものだった。真夏に40度以上に液温が上がる簡易暗室での職人技(曲芸?)のプリントは、誰にも真似はできない。しかも、桑原甲子雄さんのプリントの中でもっともすばらしい出来であることは間違いがない。この一連のプリントは、荒木さんの気持ちが、桑原甲子雄さんのネガに同調した、奇跡といっても良い出来事だったと思っている。
これについて荒木経惟氏本人はアサヒカメラの方で言及。
(桑原さんが)なんかのときに、「撮ったの、まだあるんだよ」と、ポンとネガを出したんだね。(桑原甲子雄の実家は)質屋だから保存がいいんだよ。ぱっと見たら、あたしも勘がいいから、これはいけると。「編集長(しているより自分で撮った写真のほうが)よりずっといいよ」と、その頃はもうタメ口きけたからさ。コントクトとって、あたしが全部チョイスしたんですよ。(略)あたしが選び、神楽坂のあたしの一間の暗室で焼いたんですよ。あの人、ときおり来て「酢酸臭いね」とか言って、さっと帰っちゃう。(笑)あたしのプリントはうまかったねぇ。実はさ、そのままのように見せかけて、ホンのちょっと、いけないことかもしれないけど、プリントに温かみをね、チョンチョンと。
The Economist誌(3月19日号)のチベット問題報じる記事“Trashing the Bejing Road”ぢつくりと読む。記事の冒頭“Our Beijing correspondent happened to be in Lhasa as the riots broke out”と書いてゐるが、これが思はせぶりな通り、偶然とは思へず。關愚謙氏が信報で指摘してゐたが明らかに特定の外国メディアには何らかの事前情報が何処かの筋からか提供されてゐたか。
チベットで中国政府手配=管制の外国記者団取材中、ラサのジョカン寺(大昭寺)で感極まつた若い僧らが「チベットは自由ぢやない」「当局者による詭弁」などと涙ながらに直訴。僧の指摘によれば当局が取材対象とした参拝者は「本当の信者でなく中国共産党員」で、暴動後に寺を封鎖してゐた軍隊も取材に合はせ前日夜に撤退の由。この抗議発言で「逮捕されるだらうが、構はない」などと語る僧から当局者があわてて取材団を引き離す。「暴動」後初めて海外メディアにラサ公開で官製の目的は「暴動はダライ・ラマ14世を黒幕とした陰謀で、現在は平穏」を見せるつもりが、とんだ逆効果。中国政府は僧侶らによる海外メディアへの直訴はチベット独立など「別の狙ひがあり、根拠もなく、無責任で(主張は)事実でない」と批判。ところで朝日新聞の所謂易しいニュース解説で「チベット問題」取り上げるが「なぜチベットで騒乱が起きたの?」といふ質問に答へは
この問題には歴史がある。もともとチベット清朝支配下にあったが、後に英国の影響が大きくなった。新中国の建国後の1951年……
「もともとチベット清朝支配下」とは……唖然。これぢや「もともと朝鮮は日本の支配下にあつたが」と言ふのと同じ。
▼今日付の官報で告示される小中学校の改訂学習指導要領。改訂案より更に踏み込み総則に「我が国と郷土を愛し」といふ文言を入れ、君が代を「指導」から「歌えるよう指導」に。自民党内に「改訂案は教育基本法の改正を反映してゐない」と不満があり、文科省がそれを受け「改正教育基本法の趣旨をより明確にするため」異例の修正。道徳とは本来、他人に親切に、とか公共心、人権など普遍的なmoral educationであるべきものが「伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛し、個性豊かな文化の創造を図る」と低俗さ甚し。かつては(旧)教育基本法が教育のナショナリズム排す役割果たしたものが自民党念願の法改正で寧ろ指導要領を更に右傾化させるのに用ゐられるとは世も末。

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富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/