富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-04-11

四月十一日(火)長崎からの来港者に長崎ちゃんぽん(即席麺)いただく。同じものいただいた台湾人の知人に「なぜ「ちゃんぽん」の言うの?」と尋ねられ調べたら(こちら)明治時代に当初「支那うどん」と呼ばれていたものが明治後期に「ちゃんぽん」と呼ばれるようになり、どうやら中国語で挨拶がわりに「吃飯了没有?(ご飯食べた?)」というのを聞いた日本人が福建語で「吃飯(シャポン)」が長崎の人の耳にとまり「支那うどん」と同義語になった説もあり。「吃飯」が「ちゃんぽん」の語源とは。偶然のことに台湾人も驚きだが、正確には「吃麺」だろう、と。確かに。晩に銅鑼湾UA戯院滑り込みAbolfazl Jalili監督のイラン映画“Gol ya pouch (Full or Empty)”観る。日本でも『少年と砂漠のカフェ』(01年)とか公開あり。ネオリアリズムとか称される部類。教師志願の若者がペルシア湾岸の小さい町に現れ教師になるべく努力するが社会の弊害もあるが根本的にどこかキテる少年。天才なのかも知れないが行動が軌道逸するところ多し。17歳の主人公演じる若者は全くの素人。その彼が演技というよりまさにそのニンで切なく奇妙に可笑しい。晩飯済ます時間もなく尖沙咀のコンビニで青島麦酒一缶立ち飲みで晩飯かわり。文化中心にてAleksandr Sokurov監督作品“Solntse (The Sun)”を観る。日本では『太陽』と呼ばれているが未公開、公開未定なのは、この映画主人公は畏れ多くも先帝陛下なり。昭和20年の先帝の一日をじっくりと見せるが宮城の御殿地下の防空壕での御座所で迎える朝飯に始まりポツダム宣言受諾での終戦をば陛下が希求される御前会議、そして地上の御殿に出て研究所にて生物学のご研究に余念がない。そこに侍従長が「アメリカ軍の隊列が東京に近づいております。至急、退避壕にお戻りください」と述べ地下壕へと潜る。ここでふと「空襲ならわかるが米軍上陸の地上戦はあるまひ」とふと不思議に思う。午睡。お目覚めのあと皇太子に手紙認めるが文中には「敗戦の原因には」とあり、まだ終戦前なのにもう陛下のご決意は敗戦か、と怪訝に思う。そこに侍従が現れ黒のフロックコートに山高帽の陛下を御殿正面玄関に導くのだが御殿の庭には米軍兵の姿。米軍の自動車に乗せられ向かう先は進駐軍総司令部のマッカーサー元帥もと。ははぁ、とこのへんで、この映画、朝からずっと陛下の一日を追う展開だが時間の流れはずっと早く進んでいる。遅晩には皇后と皇太子が疎開先から戻り天皇人間宣言まで話が進み、そこで終わる。この長い一日が厳粛にただただ厳粛に過ぎてゆくのだが特筆すべきはイッセー尾形昭和天皇役の見事な演技。この映画に表れる陛下の姿は奇妙な言動のなかに特筆すべき語学力や自然科学の知識など天才と奇妙の紙一重。それに陛下独特の表情や仕草(果たして若い時からこれほどだったのか、と思わされもするが)、それをどうとらえるか。いずれにせよ日本では公開されず。この映画紹介するサイトも見当たらず。天皇という題材もさることながら戦争責任にかかわる言及もあり而もAleksandr Sokurovはヒットラーレーニンに続く三部作の最後に「裕仁」を題材にしており、この並べ方だけでも日本では受入れ難い鴨。但し映画観ての感想は予想以上に先帝が興味深き人物として描かれており、単なる独裁者であるとか、あるいは無力に非ず。右翼からすれば陛下を勝手に映画にすることぢたい赦せない だろうが、反面、左翼にしても天皇の戦争責任追求するような内容でないことから(寧ろ先帝の再評価につながるところあり)これもまた赦せず。かといって中 立でもなく、独自の天皇観といか言いようなし。文化中心のシアターにかなりの観衆あり映画終わると拍手。予想以上にエンディングで席を立つ客少なくクレジット眺めている。香港のこの場に居合わせた人にとって、中国侵略の日本軍の最高総司令としての、軍国主義の象徴たる天皇という(ステレオタイプな一面的な)印象とはかなり異なる、先帝がかなり把握には難しい興味深き人物であることは印象づけられたであろう。この映画祭のパンフレットの記載によれば「皇居でこの映画が内々に上映された」という噂もあり、と書かれている。深夜11時半すぎ帰宅途中に不図、銅鑼湾で途中下車してバーS。かなり映画の印象が強くとても白面では帰られぬ、というのが言い訳。サントリー角のハイボール(氷なし)一杯。Hennessy Rdからタクシーに乗ろうと思ったが途中、バーYに寄りオールドパーハイボール同じく一杯。帰宅。

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