富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-04-12

四月十二日(水)映画祭はあたしゃどうしてもアジア映画への関心が高く欧州作品も共鳴するところ多くいくつか観るが最も関心ないのは米国映画であろう。それが今晩は尖沙咀の文化中心に上映開始に少し遅れて先ず観たのが米国作品で“Good Night, and Good Luck”(監督はGeorge Cloony)。マッカーシー赤狩りは米国50年代。これに毅然と立ち向かうCBSテレビの報道部描く。米国の良心。対共産主義共産主義が「張子の虎」であったがために少なくともマッカーシズムに対して理性が動いたが、対テロ(という摩訶不思議)に対しては具体的な暴力の恐怖も重なり良心や理性も作用せぬようになったか。次の映画までの幕間に晩飯喰らう気分でもなく(尖沙咀の突端のこの界隈にまともな食肆もなし)ペニンスラホテルのバー。客はフロアに一組しかおらず閑静。ほんのたまにしか行かぬがバーテンダー氏に常連の如く扱われやはり気分よい。新聞に目を通しながらFamous Gooseのハイボール一杯。二日続けてバーのおつまみ夕食がわり。文化中心に戻り次の映画はAbel Ferrera監督“Mary”(伊仏米/2005)。耶蘇がテーマ。話は映画撮影現場から始まり、胡散臭き俳優が脚本、監督にて自らキリストに扮した映画制作あり、の劇中劇。これまでもキリストの殉教物の映画はあるが、この映画はキリストに纏る女性など登場。かたや紐育にて宗教や倫理などテーマにするテレビ番組のキャスターおり、この二人を中心に、そこにその映画に出演した二人の女性のうち一人は映画撮影終了後にエルサレムに留まり、もう一人の女性はこのキャスターの恋人となっているところで話が展開するのだが耶蘇教の原罪であるとか贖罪であるとか耶蘇の愛であるとかあたしゃどうもピンとこず映画の真意まで理解できず。終わって深夜帰宅しウオツカにポートワイン加え一飲。文藝春秋六月号読む。この雑誌ほんと読んでいて、頭が良くならない、というか、ためにならることのない、読み物な菊池寛の限界。ただ「われわれの昭和30年」という特集で矢野誠一氏が買いている「ヒロポン芸人」という文章面白い。当時の芸人のヒロポン中毒を浅草の森川信から紹介し始め「呑気節」の石田一松は昭和21年の戦後初の総選挙で東京第一区で鳩山一郎野坂参三浅沼稲次郎ら錚々たる顔ぶれに並んで当選、タレント議員第一号だが、議員バッチつけたダブルの背広姿で新宿末広亭の高座にも立ち代議士当選記念してヒロポン用の注射針もプラチナ製をば特注(さすが!)。「打ち過ぎ」で皮膚が固まってしまい国会質問に立つ前にワイシャツの上から「エイッ」と渾身の力込め針を刺す姿見た親友の三木武夫が世話して治療入院させた、という。またその一松師匠のプラチナ針を見た三亀松師匠も人の顔を見れば「お茶がわりに」とヒロポン一本勧めるほどかなりヒロポンに入揚げており呑気節に負けてはおれぬとヒロポン針を自らも特注したそうで悪戯けて猫に一本ブスリとやったら「猫が鼠を捕りまくり始末に困った」などと人を笑わせていたという。上方の松鶴師匠も若い頃に始めて東都の高座に上がった時には上野鈴本の楽屋で三亀松師匠に「おまえか、そこの薬局のヒロポン買い占めたのは!」と言われ「見どころのある奴」と大枚の祝儀を振る舞われたそうな。はぁ呑気だねぇ、の時代。

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