富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月十一日(日)早朝に久方ぶりのまともな降雨あり。ランタオ島に山歩きでもと思っていたが中止し朝寝決め込む。山歩きの握り飯にと炊いた米飯で朝餉。天気徐々に回復しこのまま在宅しては気持ちも晴れずZ嬢とバスでホンハム站、KCRで粉嶺。旧市街の聯和墟、ちょうど旧聯和街市を間に「ジャズラーメン」今日も行列ありと線対称に位置する客家料理供す茶餐庁・新漢記飯店にてランチセット。なかなかのランチに例湯と飲み物までついてHK$21〜23と廉価。しかもカレーなどちゃんとロリエの葉など入る。歩いて龍躍頭文物徑(地図)。この龍躍頭一帯には18世紀頃に建造された登β氏らの城壁村数多く残り崇謙堂なる教会や石盧(写真)といふ立派な石造の廃屋など眺めつつ老圍、登β公祠、旧正月近づき橙や桃など栽培する農園もこの暖冬にすでに橙は豊作すぎ果して旧正月まで保つだろうか心配(写真)。沙頭角公路越えて基督教のキャンプ施設宣道園、観龍村の新圍の立派な門構え(写真)。すっかり河川敷整備され無残なる梧桐河を越え小坑村までおよそ九十分ほどの郊外散歩。ミニバスで粉嶺に戻る。Z嬢バスに詳しく粉嶺より九龍は藍田(平田邨)行きの長距離バスあり、とこの277Xバスにて観塘。バス乗換え終点の金鐘。郊外歩きの格好でパシフィックプレイス。星巴珈琲。Mont Blanc「Boutique」にて万年筆のインク購おうとすれば従前はただの万年筆屋の分際で革製品だの紳士用小物など扱い品目増え筆記具など隅に追いやられ店員に万年筆のインク求めればインクの在庫どこにあるかも不明朗。情けなし。万年筆は売れてもせいぜいただの蒐集家相手の高級品ばかり、万年筆をば日用する者など少なくインクなど売れる筈もなしか。かなり待たされ漸くブルーブラックのインク三壺購ふ。Mont Blanc、腕時計から貴金属まで取り扱い品目増やし売上高倍増狙ふがLouis VuittonChanelGucciといった高級ブランドならまだしも紳士相手でMont BlancではDunhillにも及ぼう筈もなく単に在庫品目多く抱えるだけで純利など従前の筆記具のみの頃と然程変わりないか下手したらキャッシュフロー上は今の方が経営難ではなかろうか、と憶測。灣仔のアウトドア屋にてトレイル用のMontrail製の靴購入、同型の靴二年弱で履き潰し三足目か。更に灣仔歩いてジェラートの「木田」にて余は豆腐とヨーグルトのジェラート。バスに乗り帰宅する途中、北角の香港葬儀館の建物に沿い多くの献花あり(写真)。アニタ梅艶芳女史へのお弔い。今晩が一般市民の弔問も招くお通夜、告別式にあたり多くの市民の姿、近くのサッカー場に数千人。香港の歌舞音曲の女王の未だ若き逝去に昨日は日本よりかつて色恋沙汰も噂されし近藤真彦君も来港し故人に惜別、マッチさんの憔悴しきった姿が今日の新聞にあり。そして天安門事件で名を馳せたウアルカイシ君もこの弔意に査証発給され93年の来港に続き香港返還後に初めての来港叶ふ。アニタ=ムイ女史は89年の天安門事件にて反政府の狼煙あげた学生市民に積極的なる支持、民権運動家の海外亡命にも参与しそれ以来のウアルカイシ君らとの通交とか。帰宅して早晩にランニング。一旦、Quarry Bay公園の海沿いに出て未だ工事終らぬ歩道橋不通で太古城抜ける途中ウォーキング中のH氏に遭遇。再びQuarry Bay公園に入り北角の香港葬儀館まで。午後七時の告別時間終了前にまだ数百人の弔問客の姿あり。香港にて最も愛された歌姫の逝去。葬儀館正面は跡切れぬ弔問客の列と弔問客の撮影に忙しいマスコミ群がる(写真)。再びQuarry Bay公園抜けて帰宅。およそ一時間四十分のランニング。蕎麦茹で食す。クウェートより航空自衛隊の先遣隊が初めてイラク入り、ついに日本が晴々堂々と国際社会において真の国際貢献果す日が来たことを祝しZ嬢がかつて知人より頂いていた航空自衛隊の焼酎「献捧」を飲む。日本国万歳! この栄えなる自衛隊派遣した小泉首相、石破防衛庁長官に乾杯! この「献捧」なる焼酎、その名もいかにも戦さ人(びと)好みの大袈裟な厳めしさ、ラベルにはレーダー基地と中央に仰ぐ国旗日の丸。不味い、と言いたいがけっこうイケる黒糖の焼酎にて航空自衛隊第55警戒群といふレーダーサイトが沖永良部島にあり(航空自衛隊の「南西航空混成団」司令部は那覇がありこの管轄下の南西航空警戒管制隊のレーダーサイトが宮古島(第53警戒群)、久米島(同54)、沖永良部島(同55)と与座岳(同56)の各離島にあり)この沖永良部島のレーダー施設、まさかここがいくらお土産、記念品目的とはいへ焼酎は製造販売できぬから、便宜上、防衛庁共済組合沖永良部島支部が発売元になっている黒糖焼酎で製造元は地元沖永良部島の原田酒造。鹿児島の芋だの強烈なる芳香に比べ黒糖の焼酎は確かに洗練された美味。南洋群島に長老者多く確か故・泉重千代翁も黒糖の焼酎の晩酌欠かさなかったはず。「献捧」とは白川静『字通』にもなき語、調べれば与論島に与論献捧とよばれる酒の作法があり、まず最初の者が盃になみなみと注いだ焼酎を持って口上を述べた後に飲み干し集ふ一人一人に注いで飲み干してもらい最後にもう一度自分に注いで飲み干し、これが次々と口上を述べる人が代わる代わる延々と続くそうな。目的は来客に話す機会を与えてすぐに打ち解けおうとい持て成しだそうだが、軍隊が「献捧」とすると「献身捧日」捧日は忠誠の意味で余りに「いかにも」すぎ、葉隠ぢゃあるまいし。三谷脚本『新撰組!大河ドラマにて始まる。どうせ今年も初回のみで二度と見まいが佐久間象山石坂浩二)曰く、十歳までは己のことを考え、十代は家族のことを考え、二十代は国(江戸時代における諸国)そして三十代は日本のこと、四十代には世界のことを考えよ、と。さらに日本にとって大切なることは西洋の強国の知識や技術を今は学び立派な国へと成長し列強と台頭に渡り合える日を待ってその時に正々堂々と戦う、と。何処かこのいちいち「小泉三世が聞いたら喜びそうな」いかにもネオコン的な台詞が耳に残る。同じ幕末モノでも『花神』はもっと個人主義的であったし『獅子燃える』も今から見ればどちらかといへば反権威的、同じNHKでも『明治の群像』など当時は反動的、明治賛美と揶揄されたが今にして思えば国家と個人に距離置くことのできた人たちの物語のやふ。三谷氏の脚本でも結局、この大上段に天下国家論じる陳腐な台詞並ぶ、まぁこれが大河ドラマか……。
▼本日バス乗車長く玉村豊男の『新型田舎生活者の発想』さらさらっと読了。この本、89年にZ嬢が読了し頂戴した文庫本で読まぬまま故郷の実家の書庫に眠っていたもの。当時は「それなり」だが今読むと「ありきたり」的なところもあり。とくに「どう」といふほど見識が書かれているのではないがとくにどういふ内容がなくても人に読ます文章、本にできるかどうかが青木雨彦の例を出すまでもなく一流の随筆家の真骨頂にて、その意味では玉村豊男は随筆家として一流といふことか。