富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月十二日(月)薄曇。昨晩寝しなに月刊『東京人』二月号読む。毎号楽しみは巻頭の建築評論家松葉一清氏による「東京発言」にて此の連載毎回「これぞ」といふ各界の人の発言をば取り上げ松葉氏が氏の卓見をもってその発言なり世相をば語り『東京人』創刊以来、余がその創刊号をば仙台の今はなき八重洲書房にて手にした十七年程前から続く好評連載。二月号もまず取上げたは料理評論家の小林カツ代週刊朝日十二月十九日号での発言にて
学生時代、ボーイフレンドが共産党員と知り、母に「アカやて。怖いやん」と話したら、母に「アカのどこが怖いの」と普通に聞かれ、説明できませんでした。以来、私は「説明できないことに付和雷同しない」と決めました。
と。いつも以上に今のご時世の風潮に「これぞ」といふ発言をさすが松葉氏取上げたと感心。そしてこの発言受けて松葉氏の世評始まるのだが余の日剰でも少なからず引用した松葉氏の世評ながら今回はこれまでのどれ以上に文章に実にリキ入り読み進めれば引用に削る余地なく全文引用する他なし、といふ内容。
あの九月十一日から始まり、自衛隊イラク派遣が現実のものとなりつつある二〇〇三年暮れまでの二年半足らずは、本当に日本が地に落ちた八百余日だった。政権与党ははぐらかしを続け、メディアの第一線はそれを追及しきれない。年の瀬を前に起きた足利銀行の一時国有化、宇宙開発事業団の懲りないロケット打上げ失敗、そしてイラクでの二人の外交官の悲劇的な死と続けば、ただでさえ暗い世相が一段と暗くなる。
米国がなんたるかも、わたしたちは国際的なニュース映像で見続けてきた。あの大統領選の不明瞭な結末もそうだし、戦時体制における言論の不自由さも見た。米国の社会に大きな可能性が存在することは認めても、個人の意見を言うことがあんなに不自由な国だとは思いもしなかった。プロレスラーや映画俳優が次々と政治家になり、ポピュリズムが極まっていくのは、無批判なメディアが社会の大勢をつくった結果だ。
目の下に隈をつくって、自衛隊派遣について牽強付会な屁理屈を語る指導者に対して、日本国民はついにこの間信任を与えてしまった。内閣支持の理由の相当な割合が「首相の人格」となっている。わたしは首相の人格を知らない。だから、その理由で支持もしないし、不支持になるわけでもない。それなのに相当な人が「人格」にころりといくのは、メディアが振りまく幻影が、多くのひとに影響を与えてしまう恐怖を思わせる。
支持も不支持も個人個人がきちんと理由をつけて自らに説明し、納得の上で一票を行使してほしかった。久米宏氏も消えて、筑紫哲也氏もいつまでもキャスターを続けていくわけでもない。ワンフレーズ・ポリティクスとは「ニュスステーション」が構築して、コイズミの取り巻きに伝染させたものかも知れない。今や昨日までのすべてにサヨナラを言うべき時だと考えながら、このコラムも筆をおく。愛読ありがとうございました。
……。そのリキの入った文章がまさか連載中止のリキであったとは。暫し唖然。この時代であるからこそ松葉氏の巻頭の世評こそ必要であるのに。松葉氏も呆れるのは日本の愚世。寝しなの数頁の読書のつもりがこの松葉氏の所為で目が覚めてしまい結局、中央線特集など『東京人』一冊読んでも猶も眠れず。ここ数日ずっとピンクフロイド聞く。名盤“The Wall”聞けば中学二年生であったかLP二枚組のこのアルバム購い聴き惚れる毎日。当時、中学の洋楽好きの多くはビートルズでありちょっとバンド系になるとパープルであるのだが余はプログレ好きの親友T君の影響にてエマーソン・レイク&パーマーなど聴かされ前衛に慣れた耳のT君や余にとってははピンクフロイドすらポップス風に聞こえたもの。中学のお昼の放送にて毎日代わり映えしない音楽の教科書準拠の名曲に厭きてこの“The Wall”をば放送し「ロックはいけない」といふ教員いても教員の誰一人としてこの“The Wall”に込められた管理教育をば非難否定する歌詞の意など聞き取りもせず理解もせず「そんなものか」と嗤っていたのも遠き昔のこと。