富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月十日(土)微雨あり。早朝に従兄弟のS兄より病気療養中の叔母逝去の報せあり。幼き頃に可愛がってくれた叔母の葬にもかかわらず弔ひもできぬこと心中詫びるばかり。午前、或る方の紹介にて香港に息子連れて参られる方の教育のことなどで相談あり拙識ながらお話。午後沙田に競馬あるが昨日より頭痛ひどく競馬新聞すら見る気もなし。叔母の逝去の喪に服すこともあり。午後少し書類整理など。iPodピンクフロイド録音。九龍に高座あり地下鉄の車中ピンクフロイド聴くがこれほど殺伐とした風景に似合う音曲も他になし。夕方ひとけも寂しき茘枝角公園に坐し麦酒一飲。美孚のマンションに曇り空のなか僅かに夕陽さしピンクフロイド聴けば感涙も禁じ得ず。帰宅して母と叔母逝去のこと電話で話す。赤茄子のスパゲッティ。一口だけ飲もうと抜栓した赤葡萄酒の木栓の腹に拙い漢字で「飲杯(乾杯)」と記述の焼き印あり悪戯としか思えず蔵出しの後に誰か第三者によって開栓され「飲杯」したら毒入り、ぢゃ洒落にならず試飲すら一瞬躊躇せしが同じ木栓の腹にD. Whyteと読める署名の焼き印、騎手Whyte君の署名にて、南アフリカ産のDemonvaleなるこの葡萄酒、ラベルには駿馬の絵、ふと思い出せば弁護士にて某休暇空間営む馬主M氏より頂いた瓶にて愛馬家のM氏ゆえ競馬絡みのこの葡萄酒か、Whyte騎手南アフリカ出身にて恐らくはWhyte騎手の副業か洒落か南アフリカにて知合いの営む葡萄酒蔵の葡萄酒をば香港にて競馬関係にて頒布かと察す。従兄弟のT君とA嬢にご母堂逝去に哀悼の手紙認める。母より叔母への
臘梅の香をはなつなか旅立ちぬ
といふ追悼の句。故郷はいまだ朝晩は氷点下の寒さながら梅の季節も間近。
▼朝日に島田修三といふ歌人による古歌の文章あり。「袖振る」といふ言葉取り上げ万葉集額田王詠んだとされる秀歌
あかねさす紫野行き標野行き野守りは見ずや君が袖振る
をば例にして「袖振る」が、単なる親愛感の表出ではなく恋する相手の魂を自分の方へと呼び寄せる「魂招き」という呪術的行為である、といふとらえ方など紹介、さもこの歌人氏の真説の如き書き様ながら「袖振る」のこの解釈、余も高校の古典の授業で教師言及せしこと、今さら、といふ感あり。それより可笑しかったのは、この歌人氏、この歌の解説を「天智天皇主宰の薬狩りが琵琶湖畔の蒲生野で薬狩が行われ、薬草を刈る王にしきりに袖を振る男あり、それを恥じらいながらたしなめる相聞的な趣きをもった歌」と。「天智天皇主宰の」と始まる文で「王に袖振る男」と続くので、つい「天智天皇に袖振るオカマ」と一瞬、男色説か?(笑)と勘違い。この「王」は額田王で女性、だが額田王をただ「王」と呼ぶことに慣れておらぬし文章が「天智天皇主宰の」では要らぬ誤解。額田王大海人皇子と離縁しその兄である中大兄皇子と結ばれ、この歌はその大海人皇子が兄嫁となった額田王に求愛の情あり、この薬刈りの場で白地に額田王に「袖振り」をし、それで額田王が「そんなことしたら野守が見るじゃないですか」と詠んだ歌、いずれいせよ大胆なる兄弟での嫁争いの上に今でいふ不倫のお誘いで而も竹内まりやの「喧嘩をやめて〜、二人を止めて、私のために喧嘩をするの、もうこれ以上〜」的な立場の額田王がそれを歌にしてしまふ、と古代は古代で実に大胆なる時代。ところでこの「喧嘩をやめて〜」と歌う女性は可愛らしいがそれが竹内まりやだと思うと興醒め、と当時話題に(笑)。而もその喧嘩するその一方が山下達郎であると思うと畏怖の念すらあり。