富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

赤羽から巣鴨、で銀座

辰年二月晦日。気温摂氏15.3/20.9度。曇時々晴。昨晩家人に「明日こゝ行けるかしらね?」といはれたのがこちら。

月曜日は美術館とか休みが多いだがこちらは日曜休館で月曜も開いてゐる。無料だが完全予約制。ネットで見ると明朝10時の回にまだ空きあり……といふわけで上野に09:32着で宇都宮線の小金井行きで赤羽。赤羽台団地にあるこのミュージアムに09:54着。ミュージアムは説明のスタッフがついて定員20名かな?のツアー。本日参加の好事家は14名ほど。アタシは集合住宅に住んだのは香港に暮らし始めてから。水戸では一軒家の自宅で仙台も東京恵比寿もアパート。家人は団地ではないが某銀行の「社宅」住まひで集合住宅だから団地育ちなので懐かしい世界。


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ミュージアムでの最初の展示は建物の4階に上がり大震災のあとの同潤会アパートから。今の「ミミマム」に通じる100年前の発想。代官山のアパートは昭和の終はり恵比寿に住んでゐたときに歩いて行ける距離で家人(当時、Z嬢)と代官山まで歩き近い将来に解体される代官山アパートの銭湯まで出かけたこともあつた。


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単身用の住宅も狭いのだけど何だか窮屈感がない。このくらゐの広さがあつたら本当に幸せだらう。


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戦後になつて日本住宅公団(のちのUR)が設立される。蓮根団地のまぁ傑作さ。狭いのだけど狭さを感じさせない奥行きと生活の上での建築の合理性。


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前川國男の晴海にできた高層住宅は人口と需要に対する大規模集合住宅建設といふ題目が優先して生活レベルとしてはけして上出来ではなかつたかもしれない。


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晴海の高層住宅で、それでも玄関を入つてすぐのダイニングだとか、奥までのパースペクティブな「広く感じるやうな設計」(前川國男)はさま/\な設計上の検討がされてゐるとはいへ戦前のモダンな住宅に比べるとどこか余裕の感じられない中途半端感あり。


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多摩平団地に出来た「テラスハウス」は長屋建てとはいへ専用の庭もあり団地全体のコミュニティ感の創設が意図されてゐる。しかし戦前の同潤会のやうな機能専念の設計の集合中楽の方がクールかも。下手に家族の団欒だとか地域社会なんてのが意図させると窮屈さが増すのかもしれない。f:id:fookpaktsuen:20240409175403j:image

赤羽から王子に出て久々に都電荒川線(これが今では「東京さくらトラム」なるヘンな名称に)に乗り桜満開の飛鳥山を巻いて新庚申塚まで。2週間前に納骨の済んだ家人の母の墓地に詣でる。染井霊園はさすがにソメイヨシノが満開。墓地だといふのに墓地内の桜の木の下にはベンチもあり、そこで読書などする人あり。さすがに墓地なので花見の酒盛りもないし静かで良いかも。こんなところで折口信夫なんて読んだら愉しいかも。


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東京の最高気温摂氏23.2度。平日で「4のつく日」でもないので巣鴨の地蔵通り商店街も少し閑か。「ときわ食堂」で少し遅めの昼食。隣席の老夫婦が静かに今更会話もないのだが幸はせさうに鯖の味噌煮の定食を食べてゐたのが印象的。

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銀座に出て靴のヨシノヤへ。信州だとか(欧州でもよいのだけれど)リゾートのホテルとかで、ちゃんとしたディナーでも失礼がなく、それに少しの山間の散策もできるスニーカーなんだけど遠目にはフォーマルな靴がほしかつた。ちゃんとそんな靴がヨシノヤだと見つかるから。一足購入。

小雨。家人と別れ銀座サンボア開店の時間で口開けの客となりハイボールを飲む。銀座松屋のメンズフロアでエスカレータ上がつたところで以前から気になつてゐた“RE Made in Tokyo Japan”といふショップあり。

知っておきたい、日本全国のものづくり “日本再発見” | 松屋銀座

こちらの夏物で紺の開襟シャツ一枚購入。歌舞伎座へ。夜の部の最初( 於染久松色読販 おそめひさまつうきなのよみうり )で「土手のお六」「鬼門の喜兵衛」を幕見。松嶋屋と大和屋で、もう余裕のこの芝居。傘寿の松嶋屋だが莨やが舞台で喜兵衛は好きな莨を蒸してゐれば良いところ。大和屋もお六のやうな「毒婦」はある面、ニンであるかも。そんなワケで松嶋屋と大和屋の二人はこの喜兵衛とお六は実によく似合ふ。幕見なので四階の天井桟敷から眺めたが歌舞伎座吉野川だとか渡海屋で碇知盛とかだと遠見でも面白いが鶴屋南北のこんな地味に悪事の魂胆に満ちた芝居は遠目では役者の表情など窺ひ知れないから面白みに欠けるか。そこは徠卡の双眼鏡持参で補つたが後列の小学生の芝居好きの少年は、この南北物の筋も半ばわかるのだらう、その上で要領得ぬ点を小声で母に尋ねて大したものだつた(小学生の頃から歌舞伎芝居なんかに連れて来てもらつてゐるとロクな大人にならないですよ)。本日は赤羽台のミュージアム団地の2DKでもせい/\10坪ほどの小さな住宅の移築再現模型の中にゐて畳も「団地サイズ」なんて見てゐたので歌舞伎座の間口の広い舞台で、油屋のやうな商家ならまだしもお六の莨屋の粗末な家屋があの広さだとほんと非現実的すぎ。せいぜい狭い一間の苫屋であるはずなのだから。

続く番組も松嶋屋と大和屋で〈神田祭〉はほんの20分程度、この二人の踊りどころかお練りを眺めてゐれば飽きないのだから付き合つてもよいのだが見なくても艶やかさは想像できるところで歌舞伎座を後にする。いつものことだが三原橋からする/\と斜め/\に歩いて銀座ライオン。幸はひ外に行列もなく家人に先に入つて啤酒注文しておいてもらふ間に銀座通りで斜め向かひのヨシノヤで預けておいた靴を受け取りライオンへ。


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毎年この時期はあのビアホールの店内に桜の枝葉(見事な造花)が飾られ花見気分。この時間に焼き上がるローストビーフだが今晩は何だか注文する客が多いと思つたら創業90周年が本日!でローストビーフが特価でお振舞ひなのださう。それなら、といたゞく。

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それにしても今晩は支配人も客の間を注文とつたりビールジョッキや料理を運んだり、何だか卓を越えて客同士がジョッキ片手に歓談、旧交温めてゐるし何だかドイツの田舎装束の男女などゐて不思議な雰囲気。すると午後6時半になつたらドイツ装束の男女がアコーディオンや管楽器などかゝへて立ち上がるとドイツ民謡など奏で始めて Oktoberfest のやう。創業90周年の祝賀とは。銀座ライオンは外国人客にも評判だが彼らも日本人がドイツ語で獨逸民謡など歌ひビアホールはさながらミュンヘンのやうで最初は驚いたところ。この銀座ライオンの創業は昭和9年(1934年)で日本人の獨逸祝賀は日独同盟か?と驚いたところだらう。だが彼らも東洋のこの不思議な情景に和み一緒にジョッキ片手に腕を組んで謡ひ飲み始める。アタシはかういふ集団での騒ぎが挙国一致的で苦手。静かにして眺めてゐたが家人が洗面所に行つた際に隣席の明るいお客に肩を叩かれ振り向いたところ有無を言はせず腕を取られ立ち上がってジョッキ片手に左右に揺れ動き始めた。かういふときに素直に楽しめれば良いのだがやはり苦手。こんな姿を洗面所から戻つた家人に見られなくもなく隣客に「ごめんなさい、腰痛持ちで、それに電車の時間もあつて」と言ひ訳。

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家人も酒に酔つて騒ぐのはけして好きぢゃないので盛り上がり続ける銀座ライオンを辞す。周りを白けさせてはいけない。それにしても啤酒を大ジョッキで3杯半も飲んでローストビールに豚串カツ、ベイクドポテトなど食べて満腹。腹ごなしに東京駅まで歩く。

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銀座の映画館シネスヰツチがまだ存続してゐるとは知らなかつた。坂本龍一追悼で〈ラストエンペラー〉と〈戦場のメリークリスマス〉を上映中。東京駅地下のはせがわ酒店で山形は酒田の上㐂元と天童の山形正宗の純米酒を購めて帰りの車中で飲む。1時間余なので寝てゐる暇もない。それにしても酒がなんでこんなに美味いのか。それでも水戸に着くと歩いて帰宅して本日のあれこれ記録を残して身の回りもきちんと片付けてから寝るのだから我ながら大したもの。

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▼昨日の観世能楽堂(銀座)は観世流春の別会。関根祥丸君のシテで〈道成寺〉あり拝見したかつたがテケツ入手できず。ご覧になつた方から、まだ若手の祥丸君がまことにご立派な舞台の上にさらに余白すらきちんと残してゐたとのこと。

桜が満開の土曜日

辰年二月廿九日。気温摂氏12.2/21.2度。曇のち晴。隣の那珂市の市立図書館へ。先日読んだ表章先生の『梅原猛の挑発に応へて』とか数か月前の甘耀明『真の人間になる』とか近隣の公立図書館(県立図書館も含む)にない書籍が那珂市にはあるから。図書館に行く前に中学時代のK先生に上野池之端十三やの耳かきを届ける。K先生は「こだわり」があり小物も好きなので柘植の耳かきは好きなのではないか?と思つたのだが大変喜ばれた。そのアシで那珂市飯田のスーパーヒロセヤへ。昔からある地元スーパーで大型チェーンの進出にも負けず盛況。家人はこちらが豚や牛の各種部位など充実で牛のハチノスなどあつて好物のトリッパが作れるとか最近とてもお気に入り。図書館から戻り、お昼はヒロセヤの調理パンとアップルパイ。とても美味しい。パイナップルは台湾産。

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水府も桜が満開。水府といふと偕楽園の梅の印象があるが光圀公の頃から桜の景観は大切にされてきた。

水戸桜川千本桜プロジェクト

時代を遡れば世阿弥謡曲〈桜川〉も常陸国の岩瀬が舞台。午後、競馬のテレビ中継え桜花賞は馬券を外したのを見届けて千波湖から桜川に桜を愛でに家人と出かける。

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千波湖畔は梅、桜そして湖畔の土手道(Causeway)は光圀公の時代に築かれたもので杭州の西湖の柳堤に見立てられた由来通り柳も美しい。だがやはり桜は壮観。

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千波湖はかつては水戸城下(市街)の南に位置して「郊外」のはずだつたが今では市街地が南に発展したことで千波湖がまるで水戸の中心になつてしまつてセントラルパーク。さう思ふと市の中心に風光明媚な湖(厳密には千波沼なのだが)があるのはそりゃ景観ではある。


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今年は桜の開花は遅れたが桜も毎年タイミングがさう易々とは合わないのか蕾がある一方で開花を待たずかなり葉桜になつてゐる部分もあつたり。千波湖で今いちばんの盛りは里桜が賑やか。遅咲きだと聞くがソメイヨシノがまだ満開になつてはゐない。千波湖の湖畔には花見の人々が散歩を楽しんでゐるが、まぁベトナムやタイ、フィリピンなど多国籍。彼らは日本人以上に春の桜を楽しんでゐる。まさに日本にゐることを実感する桜なのだらう。桜の花の芳香?と思つたら、そこはかとなくガラムで少し遠くにインドネシアのグループ。


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桜川沿ひでアイリッシュパブ(ケルズ)が丁度午後5時の開店で口開けの客となる。店内からも桜川岸の土手の桜を眺める。桜の花見に来たのだが今晩は外食のつもりでゐたが何だかベトナム料理でよくね?と思つたのは花見でたくさんのベトナム人を見たからかもしれない。旧県庁近くの市街のベトナム料理屋(アオバヾ)に飰す。


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県立図書館入り口の三の丸の土塁の桜も見事。

帰宅してこのNHKスペシャルを見た。

Last Days 坂本龍一 最期の日々 - NHKスペシャル - NHK

癌でもはや末期、余命短いこと識つた坂本龍一の映像。日記。まるで荷風散人の末期の日剩のやう。番組の映像はある程度は内容を予感してはゐたが何とも感銘だつたのは亡くなる昨年三月の亡くなる数日前の東北ユースオーケストラ(TYO)のコンサート当日。

吉永小百合の詩の朗読があり病室でその中継を見ながら酸素マスクをして意識も少し朦朧とするなか映像の音楽に合はせ無意識なのか指揮をする坂本龍一坂本龍一の次男坊による録画なのださう。その数日後、他界の直前も昏迷のなか手はピアノを弾いてゐた。

渡辺保『歌舞伎 型の魅力』(角川書店)

辰年二月廿八日。気温摂氏7.6/14.0度。曇。朝に小雨(4.5mm)。


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香港から頻繁に海外旅行するときに海外でのモバイルにローミング用ゐると料金が高いのでGlocalMeのサーヴィスを使ふやうになつたが日本に帰国してから海外に出てゐないのでGlocalMeで当初購入の端末(G2、画像左)はもう5年近く使つてゐなかつたのだがバッテリーがイカれて充電しても2時間ほどしかもたない。これの背中には台湾のEva Airのサンリオシールが貼つてあつた。このたび新規購入はG4(画像右)で2万円ほど。香港ドル支払ひだとHK$1000で格安感を感じてしまふ。薄く軽量だがG2にあつたモバイルバッテリー機能はない。

歌舞伎 型の魅力 (角川ソフィア文庫)

渡辺保歌舞伎 型の魅力』(角川書店)読む。熊谷陣屋、千代萩政岡、八重垣姫、忠臣蔵勘平、寺子屋、いがみの権太、合邦玉手御前などにつき、それらの役を形にした役者の「型」を、渡辺保先生も実際には見てゐない九代目や五代目歌右衛門まで含め残したことは実に意義のあることだらう。型の違ひよりそれぞれの役者の役に対する解釈が何う違ふかまで面白いところだがディテールに言及が細かいので演じ手や見巧者でもない者には読んでゐても些か食傷気味ではある。

中車の光秀のクライマックスなるあらわでいたる竹智光秀で、一旦戸口に立つ。そして後に床のノリのチン/\で下手へトン/\/\と下り、又、床のチヽヽ……チン/\で笠を後ろへとつて、ツケ入りの大見得をするところがある。あすこを私は時々自分の口の中でチン/\チヽヽチン/\、ガッチャン(ツケの音)とくり返してみる。すると、まさに中車のあの笠をとる快い大見得が目前に浮かび出す心地になる。が、なぜ私はかう云ふ愚かな事を云ふか。(略)「旧劇とは結局、チン/\チヽヽチン/\、ガッチャン」だと信じてゐるからである。
三宅周太郎「『太十』研究」『歌舞伎研究』所収 昭和17年 拓南社刊)

渡辺保が「型の秘奥」として挙げてゐるのは能役者の友枝喜久夫なのだ。喜久夫の仕舞が終わったところで(地謡の友枝雄人によれば)稽古のときと全く違ふところで不意に喜久夫の強い足拍子を一つ踏んだのださう。

その足拍子は、木造平屋造りの友枝家の稽古舞台を揺るがす裂帛の気合いであった。見ていた人間はみんなその激しさに息の呑んだのである。あれは型ではないのか。とするとその日友枝喜久夫は「型破り」をしたことになる。しかしあの足拍子こそ、彼がほとんど命だけで踏んだ拍子であった。(略)型とはなにか。私はその秘密を友枝喜久夫の「型破り」に見た気がする。型とは破るためにあるのではないか。破って、超えて、そして自由になる。このための方法論が型であり、型を正確に、おのれを空しくして、くり返しやることがそのために必要なのである。破ることができるほどくり返す。一方で友枝喜久夫は律儀なまでに型を変えない人だったからである。そして型を超えたときに自由になる。そこに現れた自由こそ芸術家の真の意味の自由である。

甲辰年二月廿七日

気温摂氏8.5/12.8度。曇。朝と夕に小雨(1.5mm)。

ETV特集小澤征爾 日本人と西洋音楽』(1993年初回放送)を録画で見る。伯林フィルでの活躍に重点置かれた映像。1935年生まれのセイジオザワは58歳でまさに一番生気漲つた頃だらう。水戸芸術館の開館が1990年で同年4月のMCO(水戸室内管弦楽団)の第1回定演は小澤征爾指揮でロストロポーヴィチのチェロで記念碑的な演奏会。


小澤の率ゐるMCOは1998年に訪欧公演をするまでになり吉田秀和館長の逝去で2013年に小澤征爾が館長就任に至つた。この第1回定演の最後でステージに上がつた吉田秀和館長の挨拶。水戸の市政百年の記念にこの芸術館ができたが、その百年とはまさに日本に西洋音楽が入つてきて日本人がそれを勉強して演奏をしてきた百年。それが今では小澤征爾のやうな世界に通用する指揮者が誕生して世界レベルでソリストとして演奏できる人たちがゐて、その人たちを集めて作つたのがこの管弦楽団で、これは僕から水戸の皆さんへのさゝやかなプレゼントです、と。日本はもう西洋音楽を勉強するのではなく、自動車産業のやうに、日本の素晴らしいものを世界に誇ること出来るし、行政もこの水戸芸術館のやうに日本各地でこんな芸術活動ができる時代に期待を寄せられてゐる。その言葉を信じたい。

それが、それから30年。日本は政治も腐りきつた上に、自然災害となれば台湾のやうなかうした災害対応もできない、もはや三等国なのかしら。なんでこんなにダメになつたのか。

表章「梅原猛の挑発に応えて」

辰年二月廿六日。清明節。気温摂氏11.8/20.2度。曇。東京で桜満開は史上2番目に桜の開花早かつた昨年より13日遅く4月になつたのも7年ぶりなのださう。
3月にネットで拝見したこちらのセミナー。

翁と摩多羅神 - 富柏村日剩

しかしマダラ神を持ち出すまでもなく能で翁が程度の差ことあれ「聖別化」されすぎたのは戦後のことで能なんてものは黒川のみならずいい加減に見て良いのだらう。我々が式能であるとか大河ドラマとかで戦国武将が城内で神妙な表情え能を見てゐるやうなイメージも能は神聖なものといふ印象を増幅してゐるのかもしれない。ところでその日の日記(3月10日)に引用した多武峰安楽寺)祭事について。当時、能楽の世界にまで梅原猛先生のあの世界の感染あり。梅原史観をすつかり信奉したやうな能楽師もゐたのだとか。梅原猛には『うつぼ舟II 観阿弥と正成』といふ著作があつて観阿弥の出身を伊賀として観阿弥の母の姉が楠木正成の妻とまで断定してみせた。観世は南朝遺臣といふやうな見立て。それに対して敢然と謂はゞ「学憤」示したのが碩学表章おもてあきら先生(1927~2010)。

昭和の創作「伊賀観世系譜」: 梅原猛の挑発に応えて

表章昭和の創作「伊賀観世系譜」梅原猛の挑発に応えて』(ぺりかん社)通読。著者はこれの上梓された2010年9月に逝去。まさにこれが遺作。出版で「トンデモ本」に対する「反論本」はいくつもあるが緻密なデータ分析の上で相手の珍説をきちんと論破する姿勢が立派。「これを書いておかねば後世を誤る©湛君」の矜持そのもの。表先生によつて明らかにされたことは、この観世の系譜が昭和になつてからの創作といふこと。贋作かといふと何か本物があつて、それに似せて山寨の品を作れば贋作だが伊賀の旧家が自らの家系に箔をつけたいといふものなら(日本の家系などどんな田舎の百姓家でも源平藤橘のいずれかを辿れるやうに)それは自由な「創作」そのもの。だが学者としての梅原猛なり白洲正子のやうな文筆家が、それをホンモノとして扱ひ文章にすれば、それは問題視されて当然なわけで更に梅原猛が観世の伊賀系譜説を否定する研究者(具体的に表先生)に対して「私は全面的に表氏に論争を仕掛けたいと思う」「日本の学問のためにも、この論争を表氏は決して避けてはいけないと思う」とまで公言されたら、それは表先生は受けて立つ、その勝負に勝つて死にたい、と思ふのは当然だらう。結果、梅原猛は更に晩節を汚すことに。梅原猛は中学のとき京都、奈良への修学旅行を前に数学のO先生に「おまえはこれとか好きなんぢゃないかい?」と『隠された十字架-法隆寺論』勧められて面白く読んだ。奈良と京都なんて小学生のときに1つ年上のS従兄と奈良京都は楽しく二人旅してゐたので中学の修学旅行なんて行く前から「うんざり」気分。なにせ体育館で上野〜東京間の「国電の乗り降り」まで練習するのだ。そのうんざり感に梅原本を数学のO先生が「おまえは……」と勧めてくれたセンスに本当に感謝。面白く読んだが今では郷土史家としてご立派なJ君と「なんで法隆寺論で「十字架」なのかねぇ、まったく」と素朴な疑問。柿本人麻呂についての論考『水底の歌』は中学生ながらに一寸胡散臭くないか?と思へたものだつた。澤瀉屋とのスーパー歌舞伎はアタシの澤瀉屋苦手もあつて「ごめんなさい」。九条の会への参画は立派だと思ふが中曽根大勲位との近さで国際日本文化研究センター設立に寄与して学者といふか何だか胡散臭い興行師に思へたのである。「学問といふか、哲学でもないし歴史でもないし、あゝいふ思ひ付きを平気で言ふといふのは耐へられない」(宮地正人)。それにしても表章の「矜持」に頭の下がるばかり。

(自民)裏金問題で39人処分を正式決定 塩谷と世耕に離党勧告:朝日新聞

塩谷氏は弁明書で「不記載に気づけず止められなかった批判は甘んじて受ける」としつつ不記載を知ったのは「昨年の事件発覚の際」だとし「還付や不記載を画策したり、主導したりしたことはない」と主張。「まるでスケープゴートのように清和研の一部のみが確たる基準や責任追及の対象となる行為も明確に示されず不当に重すぎる処分を受ける」のは「到底受け入れることはできない」とした。また党の規律規約に規定される弁明の機会すら与えられなかったと主張。「総裁も含む党の少数幹部により不透明かつ不公平なプロセス」で処分が実質的に決まったことは「自由と民主主義に基づく国民政党を標榜するわが党そのものの否定だ」と断罪した。……仰る通り。だがクソのやうな自民党を批判できてもクソに代はる何か代替健康食品があるかといふと、それすらない。

〈源氏〉が杜の都に隠れた宝石とは?

辰年二月廿五日。気温摂氏7.5/15.8度。曇のち雨(14.5mm)。台湾の花蓮でM7.7、震度6強の大地震あり。

台湾一周の旅6日目 花蓮から太魯閣 - 富柏村日剩(20040812)

この日から2泊3日このあたりに遊んだ。温泉旅行。もう20年も前とは。普段でも渓谷の道を歩くと岩や大きな石が落ちてくる太魯閣である。この地震でどれほどの崖崩れなどあつたことか。数百人が渓谷の先の宿泊施設等に孤立の由。2018年の夏には台南から台北に戻るのに高雄まで南下して東部幹線で花蓮を経由して台北に戻つてゐた。

台南→高雄→台東→花蓮→台北 - 富柏村日剩(20180705)

温泉旅行の近現代 (582) (歴史文化ライブラリー 582)

高柳友彦『温泉旅行の近現代 』(吉川弘文館)読む。原武史(戦後政治と温泉)、酒井順子(鉄道無常 内田百閒と宮脇順三)に続き、そのテのを読んだわけだがきちんと温泉への旅行の歴史をまとめてゐるが、これが講談社だとか平凡社だつたら編集者がもう少し面白みを加へたいとするところだらう。吉川弘文館らしさ、といへばそれまでだが。時代的には英国で倫敦からブライトンへの日帰り旅行が始まつたやうな、日本でのさういふ時代からのレヂャーがかうした温泉旅行だつたはず。その中でもアタシなどにとつては本来の温泉ではなく昭和30年代からの東京近郊でいへば船橋ヘルスセンターであるとか、少し遠いところでは常磐ハワイアンセンターであるとか、さうしたレヂャー施設が懐かしい。船橋のそれは現地の天然ガス採掘からの努力の成果で「大ローマ風呂」は子どもながらに小汚いし大宴会場でのワケのわからない大人たちの寛ぎぶりに閉口させられた懐かしい記憶。東京近郊なら綱島温泉とか注目すべき場所はある。

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BRUTUS 4月15日号「旅したい、日本の酒場」を読む。この特集でトップが仙台で文化横丁の〈源氏〉とはあばらかべっそん。勿論本当に和める居酒屋であつた。昭和のあの当時でも戦後の、昭和30年代そのまゝの文化横丁で〈源氏〉があつた。それがこの記事で、こんな小粋な子綺麗な店として扱はれてゐた。

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昔は気軽な酒場だつたが築地H君に尋ねると〈源氏〉は人口に膾炙す、で混雑してゐてなか/\入れないのだとか。「隠れた名店」としてあちこち取り扱はれすぎてゐるのだとか。仙台では「いろは横丁」がブームになつて、その次のターゲットが文化横丁なのださう。

ふれあい百店街・壱弐参(いろは)横丁 | 昭和レトロがのこるダテな横丁

仙台で国分町が賑やかすぎて一番町も青葉通りを東北大学の方に渡ると商店街も丸善とかヤマハの仙台店があつて落ち着いてゐて横丁に入れば市場のやうな雑多ななかに安い酒場があるのが快適だつた。直近では、といつてももう10年も前だが2014年の8月に文化横丁のバーSに旧知の仲間と飲んだくれてゐた(仙台 - 富柏村日剩)。

なんかいやな感じ

辰年廿四日。気温摂氏4.6/18.1度。晴。

なんかいやな感じ

武田砂鉄『なんかいやな感じ』(講談社)読む。武田砂鉄といふとTBSラヂオ(金)の夜の番組での軽妙かつ巧妙、緩いやうで突っ込まれたら十分に反論できる理論武装されたトークが見事で書き物も『女性自身』の連載などとても面白い。この『なんかいやな感じ』も評判で楽しみに読んだが一言でいへば「なんかいやな感じ」そのもの(笑)。なんでこんなことにコダワルのだらう、といやな感じ。そこが狙ひなのかもしれないが、いやな感じ。これが好きな読者には「たまらない」だらう。アタシはツボにハマらず。もと/\は文芸誌『群像』の連載で同誌で橋本治の絶筆「近未来としての平成」(2019年4月号)を受ける形で随筆の連載として始まつた「近過去としての平成」として連載されたものなのださう。

カーティス先生仰せの通り、だらう。

コロナ禍で3年間日本を離れましたが日本に戻ると政治家も評論家も3年前と同じ議論をしていてがっかりしました。世界はものすごく早いスピードで変わっているし日本も大胆に変わらなければ手遅れになってしまいます。日本の変化はペースが遅すぎて世界とのギャップが広がるばかりです。
まず有権者が行動しなければ政治家は動こうとしません。時間の経過とともに批判も収まって結局は「何も変わらない」と思っているのかもしれない。国民はいつまでこういう政治を許しているのでしょうか。
裏金問題への国民の怒りが本当に日本の政治を透明化させる力になるか。このままでいけば、いずれマグマが噴出してポピュリズムに席巻される恐れもあります。増税の必要性には口を閉ざしナショナリズムと結びついて国を誤りかねません。いまの政治はそういう危険を抱えています。変えるかどうかを決めるのは、最終的には国民の責任なのです。

日本の「近未来」を担ふのは〈維新〉なのだ、きつと。個人的には代々木の民主集中制には心底疑ひの感あるが直近で考へると地元選挙区でいへば福島伸享のやうな無所属保守と代々木に投票が最も有効な気がする。最近、中核派の〈前進〉を眺めても「真っ当なこと言ってるよな」と思はされるほど世の中の軸がズレてゐるのだ。