富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

渡辺保『歌舞伎 型の魅力』(角川書店)

辰年二月廿八日。気温摂氏7.6/14.0度。曇。朝に小雨(4.5mm)。


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香港から頻繁に海外旅行するときに海外でのモバイルにローミング用ゐると料金が高いのでGlocalMeのサーヴィスを使ふやうになつたが日本に帰国してから海外に出てゐないのでGlocalMeで当初購入の端末(G2、画像左)はもう5年近く使つてゐなかつたのだがバッテリーがイカれて充電しても2時間ほどしかもたない。これの背中には台湾のEva Airのサンリオシールが貼つてあつた。このたび新規購入はG4(画像右)で2万円ほど。香港ドル支払ひだとHK$1000で格安感を感じてしまふ。薄く軽量だがG2にあつたモバイルバッテリー機能はない。

歌舞伎 型の魅力 (角川ソフィア文庫)

渡辺保歌舞伎 型の魅力』(角川書店)読む。熊谷陣屋、千代萩政岡、八重垣姫、忠臣蔵勘平、寺子屋、いがみの権太、合邦玉手御前などにつき、それらの役を形にした役者の「型」を、渡辺保先生も実際には見てゐない九代目や五代目歌右衛門まで含め残したことは実に意義のあることだらう。型の違ひよりそれぞれの役者の役に対する解釈が何う違ふかまで面白いところだがディテールに言及が細かいので演じ手や見巧者でもない者には読んでゐても些か食傷気味ではある。

中車の光秀のクライマックスなるあらわでいたる竹智光秀で、一旦戸口に立つ。そして後に床のノリのチン/\で下手へトン/\/\と下り、又、床のチヽヽ……チン/\で笠を後ろへとつて、ツケ入りの大見得をするところがある。あすこを私は時々自分の口の中でチン/\チヽヽチン/\、ガッチャン(ツケの音)とくり返してみる。すると、まさに中車のあの笠をとる快い大見得が目前に浮かび出す心地になる。が、なぜ私はかう云ふ愚かな事を云ふか。(略)「旧劇とは結局、チン/\チヽヽチン/\、ガッチャン」だと信じてゐるからである。
三宅周太郎「『太十』研究」『歌舞伎研究』所収 昭和17年 拓南社刊)

渡辺保が「型の秘奥」として挙げてゐるのは能役者の友枝喜久夫なのだ。喜久夫の仕舞が終わったところで(地謡の友枝雄人によれば)稽古のときと全く違ふところで不意に喜久夫の強い足拍子を一つ踏んだのださう。

その足拍子は、木造平屋造りの友枝家の稽古舞台を揺るがす裂帛の気合いであった。見ていた人間はみんなその激しさに息の呑んだのである。あれは型ではないのか。とするとその日友枝喜久夫は「型破り」をしたことになる。しかしあの足拍子こそ、彼がほとんど命だけで踏んだ拍子であった。(略)型とはなにか。私はその秘密を友枝喜久夫の「型破り」に見た気がする。型とは破るためにあるのではないか。破って、超えて、そして自由になる。このための方法論が型であり、型を正確に、おのれを空しくして、くり返しやることがそのために必要なのである。破ることができるほどくり返す。一方で友枝喜久夫は律儀なまでに型を変えない人だったからである。そして型を超えたときに自由になる。そこに現れた自由こそ芸術家の真の意味の自由である。