富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

代々木能舞台

陰暦九月廿七日。気温摂氏11.5/21.5度。新宿角筈1のCTにて散髪。全面的信頼の理容師T君は祖父母に会ふのが楽しみと正月3年ぶり中標津に帰省なのださう。羽田から1日1便だが2時間(札幌は2便で1時間)と思ふと常磐線で水府に戻るのとあまり変はりないのかも。代々木能舞台お能のため初台へ、のつもりが新宿から京王線で各停に乗つたのに次は笹塚。あっ……初台と幡ヶ谷は京王新線だよ。それは昭和53年から。これは初台に来るのが昭和以来といふより痴呆か。笹塚から初台に戻るのだから角筈から歩いた方が早かつた。家人と代々木能舞台。都内で唯一残る屋敷内能舞台なのださう。客席に通されるとこのやう。

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廊下に並べた板の背凭れのない長椅子に並んで座り中正面から舞台を見るとこんな感じ。橋掛かりの桁行が五間半。舞台はこんな風に見えて鏡板は渡邊伍光(鏑木清方門下)の作。

アタシらの長椅子の前に茣蓙の敷いてる板の間も舞台。西側の壁に張られた布の裏は鏡板で松が描かれてゐて実はこちらが「敷舞台」。

こんな具合で敷舞台と中庭に本舞台のある珍しい形。敷舞台は大正12年の建造で昭和8年に四谷より当地に移築。空襲でよくぞ焼失免れたもの。甲州街道の向かひ側の幡ヶ谷は全焼だが初台から参宮橋一帯焼け残つたのは東に明治神宮があり都心からの類焼免れたからなのだらう。中庭に建つ本舞台は昭和25の建造(いずれも現在は国の有形登録文化財認定)。それでかういふ構造に。夏も冬も半屋外には厳しい条件の能舞台で、この時期だからこそ。本日の番組は舞囃子で小早川康充の〈歌占〉のあと浅見慈一さんの〈三井寺〉で子方(小滿丸)は武田智継君。

お能のあと初台から降り参宮橋の商店街に入り小田急線を渡り舊五輪選手村傍らを歩き代々木公園へ。犬の散歩多し。原宿から表参道へ。芋を洗ふがごとき人出。南青山まで歩くのに裏道入らうにも、このあたりは一筋入ると崗だ谷だとやゝこしい街並み。早晩の夕食まで1時間余あり太田記念美術館に入る。

はこぶ浮世絵-クルマ・船・鉄道

このタイトルからすると明治までなら大八車だとかしか想像できないが「運ぶ」といふ点で広重などの作品に登場する街頭で商品売り歩く人、旅の荷を持ち運方、馬方など的で物を運ぶ人々ばかりか(些か強引だが)深川の料亭で料理を運ぶ人からの姿まで。面白い。

特別展「鉄道開業150周年記念 人物でみる日本の鉄道開業:港区立郷土歴史館

など運輸に纏はる展覧も幾つかあり。この太田記念から根津美術館前までGoogle地図で歩いて20分だが表参道は本当に歩行者に溢れ歩くのも難儀。この2年半かうした人出に慣れてゐないので混雑のなか歩くのが大変。天ぷらの〈みや川〉で午後5時開店で口開けかと思つたら、もうお一組あり。堺の出で東都に下つて南青山で店を構へ半百のご亭主の天ぷらの世界が何ともいへず。天つゆのお出汁が鼻を擽る。前菜のやうに吉野葛の天ぷら。さっぱりとした掻き揚げまで美味しくいたゞく。

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前回は六月に母と国立劇場で京蔵さんの舞台拝見のおり晩は早五時から満席で五月に家人と来て以来。そのときは渋谷に出るのに首都高下の六本木通りから青学キャンパス下を潜つてしまつたので本日は素直に表参道から銀座線で渋谷へ。渋谷駅で埼京線の方に「新木場行き」とか池袋行きの特急踊り子だとか何だかキツネにつまゝまれたやう。品川から水戸に戻ると水戸駅のホームがまるで渋谷駅の埼京線のやうな混み具合で駅舎のコンコースも今まで見たこともないほどの人出。今晩(夏祭りの花火が順延で)千波湖の花火大会だつたやう。それにしても十代の若者ばかり。家人曰く今どき電車で花火見物は自動車もない若者だけなのかしら。確かに。

泣く子も黙る中共である。胡錦濤が党大会の席上で重要な議決の前に退席させられただけ、つまり明らかに習近平体制への不満ある胡錦濤が党大に出させれただけ、まだ法治ならぬ「党治」の原則はあつたのか。この程度で驚くなかれ。これまでの中共百年なら内ゲバ、粛清、鄧小平のやうな失脚や幽閉、劉少奇のやうな虐殺すら常套手段。それに比べれば、かもしれない。それにしても前党総書記が党大会の壇上から退出させられるにあたり壇上に並ぶ党中央お歴々のあまりの「見て見ぬふり」に一党独裁専制体制に背筋もぞっとするばかり。それにしても胡錦涛退席のその瞬間が、党大会大喜利前で外国人記者団入場の際に露見されてしまつたとは。まさに事故現場。わざ/\これを世界に見せつけるほどのつもりもあるまいし習近平にとつては三期目続投決定の重要な場面でとんだミソをつけたもの。またさらに無表情となり首が傾げるか。