富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

会澤正志斎『新論』を読む

陰暦八月初二。早朝より雨(32.5mm)。気温摂氏19.7/24.6度。夕方に雨が歇み晴。晩七時半すぎにドン!と花火の音がして(陋宅からは見えないが)千波湖の方で8月の終はりの花火かと思つたが音が何だか違ふ方角からで水戸消防署の花火打上げ情報を見たら那珂川の河川敷(渡里)だといふ。その方角なら!と西北向きの風呂場の窓から崖下の那珂川の上流を見たら確かに花火がいくつも続けて上がる。株式会社東武架設なる建築関連会社の社員家族や関係者集めての夏祭り(TOBU納涼祭)の由。消防署の花火情報には他にも結婚式場での披露宴での花火打上げとかも記載あり。

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出先で放置プレイの結果ずいぶんと弱つてゐたハイビスカスは昨年辛うじて薄色の一輪が咲いただけだつたのが二つの鉢のうち一つは六月から花が咲き始め今日も二輪。これまでもう開花は30を超えるだらう。それに比べもう一つの鉢は蕾もなかつたが今日見たら蕾が6つほどあつた。発根剤も入手してあるので花が終はつたら挿し木を試さう。それが根付いたらもう本枝が細い木になりかけてゐる本体は地植えに。

先日陋宅に来たT君にハイボール出したらソーダストリーム®️の話になつて家人はこれを購入考へてゐたがアタシがヰルキンソンソーダの小瓶をケース買ひなんてしてるから自家製ソーダには興味ないと思はれてゐたがアタシは「強炭酸」が苦手でヰルキンソンもボトルなど「強炭酸、刺激」を売りにしてゐるがアタシの知る小瓶の炭酸は昔は本当に柔らかな炭酸で今日々は刺激強めが少し気になる。だから弱い炭酸が作れるのならソーダストリームでも全然良い。ソーダストリームTerra(ブラック) これを購入するつもりでポイントも溜まつてゐたビックカメラに行つてみたら全商品在庫切れで入荷待ちださう。こんなにハイボールだとかサワーがブームなのかと思つたら最近は炊飯や洗顔でも炭酸水が人口に膾炙したのだとか。

水戸学の道⑤三島も関心、次代は新視点:朝日新聞

今日、新視点による会沢正志斎などの論文が若い世代から発表されるようになった。(略)研究自体が攻撃される時代ではなくなった。新世代がどんな水戸学をつくっていくのか興味深い。

……。果たしてさういふものか。水戸「学」とはそもそも体系的な学問なのか?何うであれ学問や政治思想として生き残れなかつたのは事実。だから今更「未来」なんてないと思ふのだが。いずれにせよ水戸学を批判するにも水戸学なんて弘道館記の読み下しくらゐしか読んだことがない。そこで会澤正志斎『新論』を通しで読む(岩波書店「日本思想体系」昭和48年)。

神州ハ大洋ノ出デル所、元気ノ始マル所ニシテ天日ノ嗣、世宸極ヲ御シ終古易ラズ。

なんて序からこんな感じ。天皇だつて「固より大地の元首にして万国の綱紀なり」だから八紘一宇の思想がもうこゝに。それでも当時の幕府が疲弊して列強が外海に現れ支那も列強に蹂躙され……のなかで鎖国してきた日本がこれから何うすれば良いのか?と重大な指針を説いてゐるのは事実であらう。

夫れ国体を明らかにし形勢を審らかにし虜情を察し守禦を修めて長計を立つるは実に聖子神
孫の皇祖天神に報ずる所以の大孝にして幕府邦君の万姓を済ひ無窮に施す所以の大忠なり。

って結局はこの当時から〈國體〉の大切。そして「では國體とは何ぞや」が明確に語られることはない。これが最近では日本の「国のかたち」を考へる上での指針だとかルソーだとか儒教だとか支那思想の「天」概念にまで匹敵といつたコメントすらあり(それこそ攘夷思想か)。繰り返すが水戸学なんて再興される必要はない。

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正志斎『新語』を読むだけのつもりが、この日本思想体系『水戸學』の巻末にあつた尾藤正英(1923〜2013)の水戸学についての記述が面白かつた(勿論これはもう半世紀前の歴史研究である)。藤田幽谷が所謂『大日本史』編了にあたり書名を「大日本史」とすること不可とする記述(校正局諸学士に与ふるの書)引用して、この水戸藩で編まれた歴史書の本来の目的として神武天皇から南朝滅亡までを対象として(南朝正統論)その滅亡によつて一つの王朝が完結したといふ歴史観に立脚してゐたことに藤田幽谷はそれでは京都の朝廷(北朝)を蔑するものとして幽谷は南北朝以降の続編の国史誌編纂を求めたといふ。幽谷の時代にあつてはさういふ親皇論が生じてゐることはおかしくもないが、この徳川光圀以来の水戸藩の(天保までの)史観をとれば南朝滅亡で支那易姓革命のやうなムーブメントがあつたことにもなつて日本の歴史にもかうした「連綿としないもの」があることをむしろポジティブにとるやうなこともできないのかしら。そこから「近代」への変革など見てゆけたとしたら水戸学ももつと後世に残る偉大な思想になつていつたかもしれない。

佐伯啓思「社会秩序の崩壊と凶弾 」朝日新聞(20220827朝刊)

(前半の要旨)民主的社会には「民主主義」「言論の自由」「法の支配」「公私の区別」「権利の尊重」などは相互に連結した普遍的なリベラルな価値があつた。そのリベラルな秩序の実現が社会の進歩をもたらすと見做された。だがリベラルな秩序が崩壊しつゝある。なぜか。自由の背後には自制がなければならず民主主義の背後には政治的権威の尊重が必要であり法の背後には慣習や道徳意識がなければならない。権利の背後には義務感や責任感が不可欠。さうした「目にみえない価値」は人々の信頼関係、家族や地域のつながり、多様な組織、世代間の交流、身近なものへの配慮、死者への思ひ、ある種の権威に対する敬意、正義や公正の感覚、共有される道徳意識など総じて「保守の精神」によつて支へられてきたが、その保守の精神が衰退したのは「リベラルな価値の普遍性」への無節操な信奉だつたが今日のグローバリズムは「個人の自由」「民主的な政治」「法の支配」に加へ「市場競争」「科学と技術の革新」など増幅が著しい。……佐伯先生の保守思想からするとまことにおかしな時代に入つてしまつたのだ。

大変に皮肉だったのは近年もっとも強く「保守」を打ち出した安倍元首相のもとでここでいう「保守の精神」が崩壊していったことである。これは安倍氏の罪というわけではない。グローバル世界への適応を目的とすれば万事「グローバルスタンダード」に合わせるほかないであろう。「改革」や「変革」の旗を降ろすわけにはいかない。また絶え間ない技術革新を推進するほかなかろう。われわれは、世界的な大競争、急激な変化の時代にいるのである。この混沌たる世界にあって安倍氏は可能な限り日本の国力の向上を目指した。経済の再生、外交による日本の信頼性の回復、日米同盟による日本の安全保障の強化である。しばしばそれは「保守政治」と呼ばれたが、このいい方は必ずしも正しくはない。(略)銃弾に倒れた安倍氏はもともと日本社会の土台となる慣習や道徳的価値の再生を強く意識していた。だがグローバル世界への積極的適応がむしろ逆にその崩壊に手を貸すことにもなった。この皮肉は時代の問題であり日本の大きな課題である。

晋三は保守ではなくまさに「革新」だつたのである。それも祖父(信介)には思考があつたが晋三はまさにこの新自由主義グローバリズムの時代に弄ばれた……といふか晋三ぢゃなかつたらあそこまでできなかつただらう。そしてまさかあんな最期を迎へ統一教会自民党に泥を塗ることにならうとは。