富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

ときわ路パスで一日周遊

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教育局が今後八年の間は就学年齢児童の減少で小中学校の廃校も検討と発表(大公報)。あくまで少子化の影響であつて移民潮が原因では断じて、ない(間違つてもさういふことは絶対に言及してはいけない)。実際に今年8月の香港の動態人口推計では昨年同期比で人口減少は87.1千人で全人口の1.2%でしかない。
Mid-year population for 2021
だが、この人口に香港の永久居民のステータスのまゝ海外に旅居の市民は(アタシや家人も含め)依然、居住者に含まれてゐる。中国からの新移民の着実な流入も香港の人口減少を相殺してゐる。

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昨年からかJR東日本で「ときわ路パス」といふのを断続的に発売してゐて茨城県内のJR全線と私鉄の関東鉄道あじがうら海浜鉄道、鹿島臨界鉄道と真岡鐵道*1普通列車で1日乗り放題(つくばエクスプレスだけ不可)。これが2,180円で大人の休日で1,670円で購入できる。もし県境に近い取手とか下館、北茨城あたりからだとかなり長距離で移動できるが中心の水戸からだとさうもいかない。今回は水戸から水戸線で下館まで西行してそこから関東鉄道常総線竜ヶ崎線を踏破する算段。鉄ちゃんと自称するわりにこの2線とも子どもの頃から乗り損ねたまゝ。結果、今日のコースで途中下車もあつたので正規で料金を払つたとすると計算してみたら5,020円であつた。水戸を07:34発の水戸線で下館へ。昨年春の帰国以来、水戸線に乗つたり笠間方面に向かふことが少なくない。

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下館はJR水戸線真岡鐵道関東鉄道常総線に連絡。発着本数は多くないとはいへJRと私鉄2線に連絡する、これでもターミナル駅なわけで地方では珍しいのではないかしら。今日は土曜日で真岡鐵道蒸気機関車の運行あり。朝で運行まで1時間ほどありSLを見ることはできず。今日は真岡鐵道には乗らず常総線で筑波の西を下る。下館を08:54発の常総線で下妻へ(09:14着)。途中、取手から下館に向かふ電車とすれ違つたが真岡鐵道でSLに乗るのであらう首都圏からの乗客でかなりの混雑。途中の騰波ノ江駅無人駅となつてはゐるが事務室を開放して鉄道模型ジオラマ展示などやつてゐた。駅舎は大正15年建造でもうすぐ築100年で関東の駅100選にも選ばれてをり真岡鐵道のSL乗車客の途中下車を当て込んだものなのだらう。

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下妻駅前(東口)にある多賀谷城跡を見学。戦国時代にこんな平城をよくぞ構へたものだと不思議だつたが今でこそ平地の中であるが当時は周囲は水郷のやうに沼や川に囲まれた地で江戸城がさうであつたやうに干拓前は城のあつた場所は水辺に張り出した岬で難攻不落の絶好地だつたとは。下妻といふと深田恭子の2004年公開の映画〈下妻物語〉で主人公の少女がこんな田舎から原宿から代官山まで通つてゐたことになるわけで下妻から常総線で守谷に出てつくばエクスプレス(TX)と思つたら間違ひでTXの開業は2005年。つまりこの少女は常総線で取手まで出て常磐線で上京してゐたことになるか。下妻は城址を見学しただけで09:50の常総線で14分で石下(いしげ)へ。

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石下は下妻街道の宿場町。今は常総市の小さな町だが「だんご」と「くろさわ」の若鶏の丸焼きなど名物。だんごは春木屋と「ゆたかや」の二軒が隣に並んでゐて共存。この春木屋や「くろさわ」が石下駅からは1.5kmほど離れてゐる。常総市観光協会が水海道と石下の駅前のホテルなどの協力を得て無料で貸し自電車を用意してゐて石下は駅前のホテルに2台だけだが他に利用者もおらず家人と2人で下妻街道を北へ。

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だんごは土産に買つたが焼き若鶏を持つて歩くわけにもいかず若鶏は胸肉1切れの大きさのものだけテイクアウトで鬼怒川の堤防土手の上で鬼怒川を眺めながら美味なる鳥焼きを頬張る。

鬼怒川に沿つた石下の町は大雨の水害で堤防が決壊、水位上昇した場合に町中は洪水を免れず。市中の電柱に想定浸水深の表示あり。写真(上)は道路から1.5mで建物の1階が浸水被害だがもつと深刻なところは3mも見かけた。石下といえば山中酒造の清酒〈一人娘〉もあり。野村醸造の〈紬美人〉もあり。今日は自動車運転もないので試飲したいところだが時間があまりない。自転車を返却して石下を11:30発の常総線で水海道へ。

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今は常総市だが水海道(みつかいどう)といふ地名は坂上田村麻呂がこの地で馬に水を飲ませた(水飼戸:ミツカヘト)といふ故事に由来とかいふ説あり。柳田国男御津垣内(みつかいど、水運の集散地)が転じたと見たさうだが下妻のやうな城下でも石下のやうな宿場町でもなかつたこの地が栄えたのはひとへに鬼怒川の水運業の発展によるもの。寛永の頃に鬼怒川が利根川と直結して下総から下野ばかりか会津!までをも結ぶ水運の中継地となり明治からの発展は著しいものであつた。財力を整へ町も発展。空襲を免れ市街の公共建築なども現存するものは近代建築の遺産。

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商店街の街灯も地区ごとにかなり凝つた意匠のものがあり、かつてどれだけこの町が繁盛してゐたのかを思はせる。

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戦後、運輸業は自動車にとつてかはられ水海道の水運業は衰退。坂東の土地は広いところなので周辺に工場誘致などもあり高度経済成長で今もその当時の雰囲気が駅前から市の中心部にかけて残つてゐる。市街地の住宅もかなり立派な家々が多く当時の繁盛が思ひ起こされる。といふか凍結してゐる。住宅建材のトタンといふのは本当なら良質も木材とかモルタルとかにしたいところを予算上とか都合でトタンで代用したやうなものであるはずだが世の中にはトタン建築Loveみたいな御仁もゐるかもしれない。昭和の30〜40年くらゐの建物で市街地の路地に、かうして見てゐるとかなり多くのトタンの建築があつたのだと思ひ返される。

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この水海道が最近話題となるのはブラジル系住民の多いこと。常総市は工場や農業実習生として働く(農業実習生は「働く」ではないはずなのだが)外国籍住民が多く茨城ではつくば市に続き人口の確か1割以上。その中でもブラジル系が多く水海道の駅前にはブラジル系のけして小さくない食料品店があり巴西からの輸入品は保存のきく缶詰めばかりか野菜まで。肉売り場のスタッフもブラジル系で売つてゐる肉も巴西料理に合ふ部位が好みの大きさに切られてゆく。マカオ超級市場を思ひ出すポルトガル系の食品のいろ/\。人の気配のあまりない市内でも昼から客の集まつてゐる飲食店があると思へばブラジル料理屋で彼らが集まつてゐて美容室も同様。

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駅前広場に面したTK Storeには海外送金の窓口もあり小さなカフェテリアで食事もできる。この厨房はストアで販売する加熱調理済の商品のキッチンも兼ねてグリルから次々と鳥の丸焼きなどが出来上がつてくる。ポーションを考えずにブラジルの豚肉のバーガーを注文したらアタシにとつては二食分はゆうにある量で半分はお持ち帰りに。ブラジルから移民?帰国j?してきた家族といふか親戚一同が食事してゐるのだがポルトガル語と日本語のちゃんぽんで、まぁ会話が明るく心温かいこと。皆での生活を本当に喜ばしく過ごしてゐてこちらまで気持ちが緩やかになる。f:id:fookpaktsuen:20211017081902j:image

水海道の駅構内のトイレで用を足しながら窓の外を眺めると駅舎に隣接した家の屋根に一匹の猫。目が合つただけでどこか人懐こい感じなのは野良とか見ず知らずの場合、大抵、腹が減つてゐるのだと思ふ。トイレを出て駅舎との隙間からその屋根を見ると猫はまだこちらを見てゐる。こんな時ののために密閉の小袋入りの乾燥餌を持ち歩いてゐるので、それを見せると猫の目はキラリンで袋を開けた瞬間に臭覚で餌とわかつたのか屋根から飛び降りフェンスのどこだか通り抜けてこちらにやつてきたのだが、するりするりと子猫が2匹。餌を地面にあけると子猫2匹はあまり慣れない餌に戸惑いながらも食べ始め、その間、母親なのだらう、屋根にゐた猫は餌になど見向きもせず毅然とした態度は先代萩の政岡のやう。子猫はどこかに隠れてゐて母親の指示で出てきたのか。母猫も腹は空いてゐるのだらうが子猫に食べさせて退散。子猫はもう少し遊びたさうだつたのが愛らしいこと。水海道を駅を13:43発の快速で14:17に取手着。地方のディーゼルのローカル私鉄でこの水海道〜取手間は複線で平時でも20分間隔で運行。首都圏の住宅難で取手から住宅地が拡大していつたこともあるがつくばエクスプレス常総線と守谷で連絡で守谷の都市化は凄まじいものあり。

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取手から常磐線の下りで2駅先の龍ヶ崎市駅へ。四日市なら「市」がつくのもわかるが、あれは四日市-市でこちらは元々は佐貫駅だつたのに龍ヶ崎市が市の名前をPRするのに龍ヶ崎にしたかつたが竜ヶ崎は「佐貫」駅からわずか8kmの関東鉄道竜ヶ崎線が出てゐて、その終点が市の中心の竜ヶ崎駅なものだから常磐線の新駅で同じ龍(竜)ヶ崎駅を用ゐることができず龍ヶ崎市駅とした次第。JRでも市町村からの要望で駅名を変へることはかなり珍しいのだとか。関東鉄道の方は終点が竜ヶ崎なので佐貫は佐貫のまゝ。かなりやゝこしい。また市とJRの駅は「龍」を使ふが関東鉄道は昔からの通用の「竜」のまゝなのである。

「りゅうがさき」の「りゅう」の字は?|龍ケ崎市HP

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古くからの宿場町であつたが江戸時代には水戸街道が整備されると街道は竜ヶ崎を通らず西の牛久を貫いてしまつたが取手の北隣といふ地理で昭和50年代に竜ヶ崎ニュータウンが出来て首都圏のベッドタウンとなる。この鉄道(竜ヶ崎線)も茨城で最も古い私鉄だつたさうなのだがニュータウン常磐線に近く首都圏の通勤に不可欠といふワケでもなく赤字ローカル線で早々に廃止になりさうだが同線に沿つた路線バス本数増は抑制するなどもあつて存続してゐる。龍ヶ崎市には大相撲の式秀部屋が移転して話題となつた。茨城県には荒磯部屋もあるが、そちらはつくば市つくばエクスプレスがあるので秋葉原から総武線で両国にもまだ便利だが、こちらは常磐線上野東京ライン常磐線は延びたが秋葉原は通過してしまふし両国へはちと不便である。

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竜ヶ崎からの復路で乗った列車の吊革がコロッケなのには驚いた。

「名物は電車のつり革にまで」龍ケ崎コロッケ|NIKKEI STYLE

たかだかコロッケが名物か、と思ふが何かしら町の特産はあつた方が良いやうで。それにしても話題づくりとはいへ吊革にコロッケは意味不明。「ときわ路」の列車の度もさすがに疲れて佐貫(龍ケ崎市)駅から水戸への常磐線グリーン車に乗る(グリーン料金払へばときわ路パスで乗車可)。石下の〈一人娘〉のカップ酒を飲んだら土浦の手前で櫻川を渡つたあたりで寝てしまつた。

*1:下館を出ると県境を越へ栃木県に入り真岡〜益子〜茂木だが「ときわ路パス」は特例で県外のこの路線は可。