富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

郵便貯金口座開設


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疫禍隠定で大公報は香港の政治不安の暴力化に怯える。蘋果日報が報じるのはCarrie Maskの製造委託先決定の不透明はアベノマスクの如し。当初は製造元も公開されてゐなかつたが林郑は慌てゝ発表。 

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ゴミ処理の分別大変でスマホタブレットなどの小型家電やHDドライブ等は資源物でもゴミ収集場には出せず「回収拠点」の専用ボックスに投棄が求められてゐる。リサイクルもあるが電池の処理や消去しても個人データ残存の不安などあるので、この措置は良いかもしれないが小型ゲーム機やビデオカメラばかりかACアダプタやコードまでが、この扱ひで市役所や出張所にまで持参とは、やりすぎ。1年半で画面不良で修理不可となつたKindleがあつたので(Kindleの品質は最悪)市役所に投棄に寄ると大型連休明けで市民課はマイナンバー申請でかなりの人混み。水戸市では10万円支給の詳細もまだ発表になつてゐないが今更、マイナンバー申請して10万円支給がどれほど早くなるのかしら。郵便局で郵便貯金の口座開設。JRAでネット投票のため。アタシの銀行口座はみずほ銀行で、みずほの場合はJRAのA-PATなるシステムに申し込み可だが6月末までの申し込み受付で専用の口座を開設して9月から利用可とは……。それに対して「即PAT」なるシステムだとすぐに利用か可能だが、JRAはこれの指定金融機関を限定で、みずほ銀行が大手3行のなかでみずほだけが除外。そこで郵貯銀行に口座開設の次第。

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郵便貯金といふと昔からどこか取り扱ひ面倒な印象あつたが事前にネットで口座開設フォームに必要事項入力で印刷。そこに捺印どころか印鑑なしで署名で利用も可とは……何といふ近代化。郵便局の窓口で用意してきた書類と本人確認用に運転免許証提出、銀行の印影登録のカードに捺印して暗証番号登録だけ。10分程度で口座開設である。しかも口座開設時の預金は0で後はご自身で必要に応じて入金してください、で済んでしまつた。その足で郊外の自転車屋に愛車のスタンドを両立スタンドに交換しに行つた序でに畑に囲まれた麺屋三一五なるラーメン屋に寄る。BGMはボブ=マーレイで白骨湯のスープがさっぱりしてゐて美味。狭い店でカウンターの椅子も減らしての疫禍営業だが昼前にすでに来客少なからず。 

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築地H君のお勧めで1990年刊の山と渓谷社『美食探訪 日本のお菓子』を古書肆から入手。日本全国の数百の菓子屋を集めた30年前のもので、その後の改訂増刷もないが老舗の菓子屋といふのはそのまゝ残つてゐるのが多数で現在でも重宝とH君。そりゃさうだ。当時2,900円もした本が248円(送料250円)とは申し訳ない。これが届いたが残念なことに破られた一頁あり無残。幸ひに本文ではなく奥付のあとに付録のやうな全国の菓子商の広告頁で一頁目のため北から順で頁切れ端から五勝手屋羊羹だとわかる。古書のネット情報には「キズ、シミ、ヤケや折れ」とあり想定内だつたが頁の破れは、さすがにこの古書肆の連絡。するとお詫びとともに料金、送料返金の上で本はお納めくださいと。少なくとも販売前のチェックミスといふことだけわかつもらへば嬉しかつたのだが、すぐに返金もされてしまひ申し訳ないほど。

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槙改康之『ミシェル・フーコー 自己から脱け出すための哲学』岩波新書

フーコー入門」の書だといふが一言で「難解」。フーコーを読んだこともなければ知識もなく、これを読んだら通常にはフーコーなど理解できないどころか哲学の難解さに閉口だらう。フーコーの場合、『狂気の歴史』『言葉と物』『監獄の誕生』『性の歴史』4巻のうち『監獄の誕生』あたり比較的理解容易なので、これでも導入で読むほうが良いかも。この本はフーコー入門といふより欧州現代哲学でのフーコーの位置づけの検証といふ内容。ところでフーコーといへば樋口陽一先生が(昨日この日剩で紹介した)『リベラルデモクラシーの現在』(岩波新書)で国家観を語る際に鷗外と荷風の思考を引用されてゐた。樋口先生の著述で文学を語ることは珍しく鷗外ならまだわかるが荷風散人が出てきたとは。そしてフーコーも引用には驚いた。樋口先生の「憲法と国家」とフーコーの世界は土俵が違ふ印象あつたが樋口先生はフーコーが80年代初期の段階で「かなりネオリベラル的」だつたと。フーコーが「より国家の重しが少なくなるということは人々の幸せにとっていいことではないか」といふ認識だつたが、そのあとレーガンサッチャー政権の強力なる国策が現れ「ネオリベラル体制を推進するためには実は強力で継続的な国策、政策努力が動員されるのだということを、その最初期には見誤った」と。然り。

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