富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

自宅待機要請9日目


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 (大公報)「他们确诊了」と世界の要人や有名人の感染者を列挙してみせる(日本からは故・志村けんも)。「中国人はいない」は誇りか……本来であれば、ここに武汉で肺炎告発して感染に倒れた李文亮医師を入れないといけないのだ。(蘋果日報)「玩家惡搞習帝 設計抗爭文宣 動物森友會 大陸下」というニュース。アタシなど動物森友會とは先ず何ぞや?だが任天堂に「あつまれ どうぶつの森」といふゲームありきで、それを「悪用」した習政権批判、逆権のゲームが出回つたとやつと理解できた。これをTwitterに載せやうとしたら何やらブロックがかゝる。

異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)

  • 作者:カミュ
  • 発売日: 1963/07/02
  • メディア: 文庫
 

Albert Camusの『ペスト』数日かけやつと読了。この疫禍で100万部のベストセラーなのだとか。1940年代にフランスの植民地であつたアルジェリアの港町オラン市をペストが襲ひ封城となり、その苦境のなかで医者や市民、異邦人らの日々を描いてゐるのだが当時、ペストはナチスドイツの隠喩。カミュらしく、この切迫した状況を淡々と描くのだが小説読む感性乏しきアタシは、この世界に入りきれず。

市中で誰一人、ふだんのときには毎週何名ぐらいの人が死んでいるのか、知っているものはなかった。

この物語で一番印象に残つたのはパルヌー神父のミサでの説教。

皆さん、あなたがたは禍いのなかにいます。皆さん、それは当然の報いなのであります。(略)今日、ペストがあなたがたにかかわりをもつようになったとすれば、それはすなわち反省すべき時が来たのであります。(略)日曜日に神の御もとを訪れさえすればあとの日は自由だと思っていた。二、三度跪座しておけば罪深い無関心が十分償われると考えていた。しかし神は生温い方ではないのであります。(略)あなた方の来ることに待ち疲れもうた神は災禍があなた方を訪れるに任せ、およそ人類の歴史なるものが生まれて以来、罪ある街のことごとくに訪れた如く、それが訪れるに任せたもうたのであります。あなた方は今や罪の何ものたるかを知るのであります。(略)この町があなたがたとこの災禍を閉じこめて囲いを閉ざした日以来、あなた方はちょうどそれらすべての人々がしたように一つの新たな眼を生きものや事物の上に向けているのであります。あなた方は今こそ、そしてついに、本質的なものに帰らねばならぬことを知ったのであります。

感染症と文明――共生への道 (岩波新書)

感染症と文明――共生への道 (岩波新書)

  • 作者:山本 太郎
  • 発売日: 2011/06/22
  • メディア: 新書
 

これは疫禍のなか必読の書。 ちょうど後半となる第4章からはいくつかの代表的な疫病の具体的な分析となるので第3章までの前半だけでも読めば良い。本屋には申し訳ないがプロローグとエピローグだけ立ち読みだけでも十分に有益。かつて癌の原因になる化学物質などへの暴露や運動不足による生活習慣病もなかつた(そりゃさうだ)先史時代の人類は農耕の開始、定住と野生動物の家畜化で感染症を取り込むことに。家畜は農耕の余剰作物による飼育で家畜に起源をもつ病原体は増加した人口といふ格好の土壌を得てヒト社会に定住する。ヒトはそれ以来今日まで変化への適応対処に苦慮したまま。

感染症のない社会を作ろうとする努力は、努力すればするほど破滅的な悲劇の幕開けを準備する(略)。大惨事を保全しないためには(病原体との)「共生」の考え方が必要となる。重要なことは、いつの時代においても、達成された適用は決して「心地よいものとはいえない」妥協の産物で、どんな適応も完全で最終的なものではありえないということを理解することだろう。心地よい適応は、次の悲劇の始まりにすぎないのだから。

中世欧州でのペスト流行がどれだけ世界を変へたのか。それまでの社会構造を再構築させ大学が休校となつたニュートンはぼんやりと過ごすなか微積分法や万有引力の基礎的概念を考へ、それまでのカソリック教会を体系としたキリスト教では宗教改革が始まり、シェークスピアのバッハもこの疫禍あつての創造。

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