富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六九「反送中」103万人デモ

農暦五月初七。朝、驟雨。朝餉の際に金曜晩のタモリ倶楽部(新よだれ鶏決定戦)見てゐたら四川料理の「口水鶏」といふ名付けが郭沫若なのださうで「郭沫若は中国の近代の有名な作家さんです」と紹介あり「作家」には違ひないが中国で20世紀代表する知識人、文人であり「作家さん」といはれると何だか放送作家のやう。この特集は花椒と辣油を用ゐずに現代版の美味い口水鶏を作るといふ他愛ないものだがゲスト(阿佐ケ谷姉妹)が使ふ香辛料に「ヘンプシード」といふ日本語で聞き慣れぬ言葉ありhemp seedなら「麻の実」で成程、日本ではヘンプなる英語は通用せぬので麻の実をさう言ひ換へがあるのか。午後から銅鑼湾に出街。今日は六九で「反送中」の市民デモあり。

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雨傘運動の失敗で縮小傾向にあつた市民の反政府世論が今回の逃犯条例では行政長官リンテイゲツガらの横柄、中共(中聯辦)の執拗な介入もあり今日のデモは盛り上がるのでは?と予想されるところ。銅鑼湾まで乗つて来たMTRは日曜午後にしては混雑もしてゐるし天后でそれなりに多くの乗客が降りたのはデモ参加のため。「それでも」2003年の50万人デモの時にはMTRのなかで乗客が自分も含め黒シャツばかりで「えっ……こんなにデモ参加の人がゐるの?」と驚いた表情でアタシも乗つてゐた地下鉄は車内放送で「天后站構内混雑のため臨時で通過」とアナウンスあり銅鑼湾まで連れてゆかれた。今日は「まだ」そこ迄の大群衆にはなつてゐないか、とタカ括つてゐたら銅鑼湾站はホームで湾仔側出口に誘導あり、それでも「そごう」側に向かふとコンコースで既にヴィクトリア公園方面へのE出口は封鎖で「そごう」側も封鎖、唯一、Hysan Place側へと誘導される。

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アタシは古書肆写樂堂に新刊、文庫など15冊ほど売却なので丁度良かつたのだが。写楽堂での査定で一部は買取り難でHK$40となり古書肆も地道に頑張つてゐるわけで代はりに沢木耕太郎『キャパへの追走』を新古書HK$45で入手。沢木『キャパの十字架』は読んでゐるが、この『追走』にはチョートク先生の解説と著者による「解説のための解説」があつて面白い。さて写楽堂をJardine’s Crescentの路地に出て「そごう」前はHennessy Rdの西行きはデモ行進開始まで1時間あるが自動車も通行規制されてゐるばかりか「そごう」側に横断歩道も閉鎖。

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随分先の歩道橋を渡れと警察の指示あり。地下鉄構内も混雑で入れず反対側になど行けたものではない。

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仕方なくヴィクトリア公園方面にHennessy Rdから続くYee Wo街を歩き始めると道路に歩行者が溢れてをり路線バスやトラムも立ち往生。デモの際に集合場所のヴィクトリア公園への表参道の如きGreat George街には市民団体の大物が壇上でアジ演説(画像は梁“長毛”國雄)。

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それにしても2003年の50万人デモの時でも、この「そごう」前でデモ実施中でも道路横断できたし好きに好き勝手に動けたが今日は下手するとそれ以上の盛り上がりになるのでは?と実感。デモ行進は午後3時開始の予定が警察の要請もあり主催者(民陣)が前倒しで14:20すぎにはデモ先鋒が公園からCauseway Rdに出て行進始めたのが遠くに見える。

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当方は人の流れでヴィクトリア公園に入つたが、これまで何度か市民デモの現場には来てゐるが出発地の公園に入つたことはなかつたのは公園出口が狭く何時間もデモ参加者がこゝで待たされるからで、警察は制限なくデモが公園を出ると道路は片側通行規制のため危険であるからとして、更に途中からデモ参加せぬやう呼びかけは警察が公園出発人数をデモ参加者数としたいがためか、いずれにせよ公園内は今では市民デモは中央の芝地しか借用できず、そこにも何万の人出。

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すると痺れ切らした人たちが垣根越へ借用してゐないサッカー場(2003年の時は親政府側がサッカー場借り切り閑散としてゐたもの)に入り込み、警察も一応は制止してゐたがダムに小さなヒビ入つたが如く直ぐに多くの人々がサッカー場に溢れ、そのまゝCauseway Rd側に出ようとするがデモ出発は天后站側のゲートに制限されてゐたところ、こゝも人出多数に警察数名ではすぐに制限も解除され路上に。

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アタシもそれに乗じて公園脱出なつたが今度は出たところが東行き車線で自動車や路線バスが人波に呑まれ立ち往生、そこを縫つても今度はトラム(市電)の軌道で警察がそこを越へての西行き車線へのデモ合流は認めず「開路!開路!」とシュプレヒコール上げるデモ参加者との対峙。

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すでに銅鑼湾では東行き車線もデモの群衆が溢れたやうで、それならヴィクトリア公園横のこゝだけで警察が通行止めしたところで孤軍なのだが警察は「これ以上のデモ参加者が銅鑼湾に向かふと危険なので、こゝで制限が必要」とする。30分ほどして、やつとこゝの解除も解かれ歩き始める。


それにしてもデモが進まない。いつものことだが銅鑼湾の「そごう」に向かふ道路が一番細く、その先は片側3車線でトラムの複線もあり開豁となるのだが「そごう」前が関所で、そこが詰まる。首都高でいへばかつての箱崎

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本来のデモはそれにも負けずデモ行進にゐるべきだがアタシは意思が弱いやうで銅鑼湾の手前、リーガル香港ホテルのところでデモから脱落してLeighton Rdに抜けてみるが、この道路も西行きは自動車走れるが東行き、それにこの一帯の横道ももはや歩行者天国。時計を見るとすでに午後5時。写楽堂で本を売つてから3時間経過してゐたことになる。さういへば今日は此処から50mほど離れたエリザベス体育館で卓球の香港オープン開催中で日本から張本智和が今ころ決勝戦の最中。まだ若いが出自は中国で日本育ちの彼は香港のこの状況に何か感じるところありやなしや。銅鑼湾から湾仔に向かふ鵝頸橋の高架下は市民デモがあると恒例で、此処は親政府派、親中派がデモに向けて抗議が盛んな場所なのだが今日は、その社中も出動してをらず(午前中に香港政府にて「香港を犯罪者天国にするな」と請願書渡したのみ)。

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英国旗、中華民国旗も堂々と振られては中共にとつても忌忌しいところ。湾仔に入るとヘネシーロードのデモに対して電車道のJohnston Rdも自動車もたまに走つてはくるがデモの本流を外れた人たちの先を急ぐバイパスとなつてゐる。明らかに2003年の50万人デモの時よりも参加者が多い。

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本来はここから更に政府総部の終点までがデモだがアタシはこゝで退散を決め湾仔站のところで雨傘運動首謀者で唯一、有罪での収監免れた朱耀明牧師の演説を少し聞き帰宅。

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晩にNHKスペシャル | 天安門事件運命を決めた50日を見る。先日、私訳した嚴家祺の文章の指摘にもあつたが「たられば」だが1989年の天安門の学生たちの動きで異常が見られたのは4月26日の人民日報社説で、あれが「動乱」とされたことによるもので、それが趙紫陽北朝鮮訪問中に李鵬が仕掛け鄧小平がそれを認めたもので、学生たちもよもや人民解放軍が運動を武力で鎮圧し殺戮も辞さぬとは思つてもみなかつたところの悲劇。いずれにせよ、あれから中共一党独裁と人権、自由の抑圧強化が続き今日に至り、香港もかうなつたもの。2003年の50万人デモは香港基本法23条に基づく治安条例制定反対で当時はあの制定は最悪と思はれてゐたが今となつてみれば少なくとも治安条例では何か法に触れても香港の司法下にあるもので、それが今回の逃犯条例では香港の司法など蔑ろでいきなり中共のお沙汰となるのだから。中共民主化どころか香港の民主化運動も過激化すれば国家転覆企図となり、商行為も中国で睨まれれば香港でもクロとなり、かうして中共一党独裁が云々と書いてゐるだけで外国人とて睨まれては……の世界。それが今回のデモが2003年を上回るといふ状況を引き起こす。ヴィクトリア公園を発つた最後尾は午後7時半、つまりデモ開始から4時間経つての出発だつた由。

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今日のデモ主催した民陣は夜になり103万人がデモ参加と発表し午後10時にデモ終結宣言。興味深いのは警察発表で、今回は最大で24万人が参加とするところ。2003年の50万人デモで警察は35万人とし、その差は7掛だつたのだが、その後、デモの規模は主催者側と警察の数字と乖離が著しくなるのだが今回が2003年の35万人の約7割にあたる24万人参加といふのは余りに非現実的。対2003年対比で主催者側が2倍とするのも大袈裟としても警察の7掛が係数だとしたら70万人か、少なくとも2003年の35万人÷0.7で50万人あたりが適正なところか。いずれにせよ香港開闢以来の反政府デモであることだけは確か。デモはお終ひだが政府総部に居残つた若者らが立法会前で警察と小競り合ひ。

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深夜にもつれ込み武力衝突で警察の胡椒スプレーも発散で機動隊が若者らを強制立ち退きさせGloucester Rdに出張つた若者らは旧湾仔警察署まで後退、未明まで警察との攻防あり。ところで本日のデモにつき在香港の日本総領事館からの注意喚起。

デモ行進や集会の会場等には近づかないよう注意し、デモ隊や群衆に遭遇した場合には、直ちにその場から離れ、安全な場所へ退避するよう努めてください。

この「デモ隊」や「群衆」とはフツーの香港市民なのだが……。このフレーズ、雨傘の時も他の大規模デモの時も一緒。市民デモは暴動に非ず。但し一部が過激化する可能性は当然のやうにあり(事実さうなつた)注意喚起なら「そこ」であり、寧ろこの大規模は市民デモによる公共交通機関の混乱や道路渋滞等の支障に留意呼びかけこそ適切なのでは? ちなみに米国総領事館は今日のデモに注意喚起出ておらず。