富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

彦十蒔絵(若宮隆志)「三竦み」

fookpaktsuen2018-05-27

農暦四月十三日。昨晩は半夜三更に寝て夜中に一度目覚めたが朝六時すぎまで眠むれた。朝ほんの少しの驟雨あつたがスズメの涙程度で雨があがるとすぐに干上がる。昨夕、彦十蒔絵の作品を手に入れてĐặng Thái Sơnを聴いてかなり満足だつたからかしら。朝食のあと、その若宮さんの彦十の「三竦み」を初めて明るいところで眺める。暗いところで照明に当てゝも精緻で美しいが、やはり自然光での輝きの柔らかいこと。蛙が上蓋に目立つが乗つてゐるのは蛇の肌上。蓋を開けると裏にナメクジ。箱の中に蛙卵。蛙は蛇を、蛇はナメクジを、ナメクジは蛙を、それぞれ恐れて竦(すく)めばなるほど「三竦み」。下手したら随分と「エグい」題材を見事に美的にまとめてしまふ若宮ワールド。どんな小さなものでも手の込んだつくりで高価だが、どうしても若宮作品を一つ、と願つてゐたが昨日の出品の中ではとてもこの「三竦み」に魅かれた次第。家宝。溽暑でとても外は走れずジムのトレッドミル。昼に陋宅でそうめん茹でて啜り午後は競馬。香港は沙田ヴァースとチャーターカップパキスタンスター圧勝。日本はダービー。大相撲夏場所は栃丿心13勝目あげるが鶴竜が昨日の栃丿心に続き白鵬破り14勝で優勝。InterFMでバラカンビート。茹でトウモロコシと枝豆。平凡な日曜日に安堵。
佐藤優『獄中記』より

  • 教会がプロレタリアートや社会的弱者の救済というキリスト教が本来やるべきことを疎かにし、ブルジョア社会と同化してしまったため、その役割を社会主義者が担うことになった。Josef Lukl Hromádka
  • 太平記』を読んでいて感じるのですが我々にとって『太平記』や『平家物語』の世界ははるか昔、中世の物語です。これらの世界は「物語」であり批判的考証を経た歴史とは異なります。しかしイスラームの世界の人々(とくに原理主義者)にとってはコーランや伝承(ハーディース)に書かれている世界がそのまま現実として受け入れられています。現在の私たちの時代は源平合戦南北朝の動乱第二次世界大戦あるいは湾岸戦争を体験しているわけではありません。これらについては(教育を含め)情報として受け取った上で歴史的世界像を形成しているのです。日本でも少し前まで、例えば幕末の志士たちは『神皇正統記』『太平記』の世界と現実の世界の間に六百年の時の隔たりがあるとは考えていなかったと思います。イスラーム世界は今でも7世紀のムハマンドと異教徒の戦いなどというのが昨日すぐそこで起きたことのように受け止められているのだと思います。原理主義者たちは歴史的事実の断片と現下情勢の断片を繋ぎ合わせ世界像を作っているのです。
  • 知識人というのは(政治家、経営者もそうだろうが:富柏村)自己の利害関係がどのようなものであるかを認識した上で(つまり自分には偏見があるということを認めた上で)自己の置かれた状況をできるだけ突き放してみることのできる人間だと考えています。この訓練が一般教養であり哲学なのだと思います。

⇧「知事の批判は当たり前」と共産党の志位委員長曰く「ただ「偽りの説明」が事実とすると、その後、柳瀬氏ら官邸サイドが動きだしたことが説明つかなくなる」。つまり「偽りの説明」という弁明が「偽り」だとしか考えられない、とさすが弁証法には長けているw