富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

Đặng Thái Sơnのピアノリサイタル

fookpaktsuen2018-05-26

農暦四月十二日。昼前に出先で小噺の高座に上がり午後、官邸で残務整理。夕方猛烈な日差しのなか家人と湾仔のエキシビションセンターで待合せ国際古玩展。輪島から若宮隆志さん(こちら)の彦十蒔絵が出展。若宮さんから叮嚀にそれぞれの作品の解説受ける。雪舟の師にあたる周文の四季山水図、佛、孔子老子の三賢人に見立てた秦那と日本の三美人、泉鏡花の物語モチーフとした作品の中に「三竦み」と読んだ箱根付けの作品あり。さんざん迷つた末に清水の舞台から飛び降りて購入。手許に一つでも若宮さんの物語があることの幸せ。慌てゝマクドで腹拵へして中環。市大会堂。Đặng Thái Sơnのピアノリサイタル。1980年にアジア人として初めてのショパンコンクール優勝。越南戦争終結から5年でハノイ出身のベトナム人ピアニストなのだから。Đặng Thái Sơnが漢字だと訒泰山とは寡聞にして今回まで知らず。その越南の彗星も還暦。Đặng Thái Sơnを生で聴くのは初めてのアタシの印象では公開演奏は稀少で香港も何年ぶりなのかしら。曲目は前半はシューベルトのアレグレットD915ハ短調と12のドイツ舞曲、ショパン舟歌、アンダンテスピアナートと華麗な大ポロネーズはĐặng Thái Sơnにとつてはお得意。中入後にイグナツィ=パデレフスキ(1860〜1941)の作品を5つ。初めて聴く。19世紀は演奏家として高名を得て作曲家に転じ米国に居住すればカリフォルニアでワイナリー興し、それだけでも非凡な半生だが第1次世界大戦中にパリで「ポーランド民族委員会」の活動家となり三国協商側からパデレフスキは「三国連合側ポーランド」の代表と見なされ戦後の新生の独立ポーランドにて首相となりパリ講和会議に出席。その後、国際連盟ポーランド大使となり政界引退しスイスに居住し演奏活動に復帰したがポーランド国政の翼賛化に反対する活動続け晩年もナチスドイツのポーランド侵攻でロンドンにてポーランド亡命政府の指導者に。80歳でその運動財源確保のため精力的に演奏活動行なひ1941年にニューヨークで客死。このパデレフスキのあとはリストの「ノルマの回想」。若手のピアニストがこれ見よがしに弾いて見せるならわかるが還暦で「大人のロックだね、こりゃ」と家人。御意。アンコールのソナタは何? 帰宅。毎日少しすず佐藤優『獄中記』(岩波書店)読んでゐる。

小泉政権以降の外務省、官邸、国会、メディアを見る中で私は官僚の世界のみならず公的な世界に心底嫌気がさしています。これは虚構によって塗り固められた世界です。その最終的仕上げがこの司法的擬制の世界だと思うのです。

この佐藤優の拘留が2002年のこと。15年以上も経つた今、佐藤優の憂ひた状況はますます深刻になつてゐる。
▼十ヶ月に亘り拘置所に拘留されてゐた籠池夫妻保釈。記者会見で籠池理事長やはりこの人は面白い。

私は天皇国日本のもとに教育をさせていただいておりますから今上天皇陛下がしっかりと憲法第9条については(改正)反対とまでおっしゃってませんけど積極的賛成だということはおっしゃってませんので今上陛下が危惧されてることにつきましては、されない方がよろしかろうと思っております。

このコメントの部分やはりメディアではほとんど菊のタブー、天皇の政治性で取り上げられず。