富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

映画 “In Wound”

fookpaktsuen2017-09-23

農暦八月初四。秋分。朝かなり天気荒れる。午前中にジョギング済ませ昼に銅羅湾で知己二人と日本人倶楽部食堂で会食。同じ銅羅湾で一つ打ち合わせで末席汚したあと久々に整体按摩。夕方から映画見るのに慌てゝ尖沙咀に行つたら30分早く誤解してゐて丸亀製麺でうどん啜り小腹満たしてThe Oneの映画館。“The Wound”見る。(“Variety”雑誌の映画評こちら南アフリカを舞台に原住民の辛うじて残る伝統的社会で適齢期の若者を集め儀式は割礼から始まり若衆宿で若者たちにはそれぞれ兄貴分が付き大人の男となるための集団生活の「訓練」が行われる。かうした若衆宿の風習はアフリカから極東まで広く見られたもの。大方の装置や行為は同じで男だけの隔絶された環境での期間に男に精を齎らすため強制的に年上による肛交行為が施されたり精神的にも衆道的なものであることは間違ひない。この映画(John Trengove監督)はさうした若衆宿を経て都会で孤独に働く青年Xolani(Nakhane Touré)が、この若衆宿のある辺境の集落に還るところから始まる。裕福な叔父に今年その若衆宿に加はる「息子Kwanda(Niza Jay Ncoyini)がどうにもヤワすぎる」と指導役を任された。父親としては若衆宿での試練を知つてゐるがゆゑ甥に息子を守つてほしいといふところもありか。Xolaniはその若衆宿で精力的に活動してゐる幼馴染の青年Vija(Bongile Mantsai)に再会する。筋骨隆々の彼はXolaniを見つけると人里離れた廃屋でXolaniを犯す。さういふ経験がかつてあつたのだらう。Vijaにとつては女でも男でもヤレるものなら、だがXolaniはゲイでありVijaを慕ふ。Kwandaはこの土着の風習や文化、若衆宿に馴染めないまゝ過ごす。Xolaniには少し心許すが若衆宿の日々も終盤を迎へた日、指導上の諍ひから男たちの間でVijaが疎まれ、Xolaniが後を追ふ。集落にとつては神聖な滝近くの水々しい草むらで混じり合つた二人が全裸で臥せてゐるのをKwandaが見つけてしまひKwandaはそのまゝ行方不明に。翌日の若衆宿の最後の日、祝祭のなかにVijaは憂鬱な表情で混じつてゐるがKwandaと、それを探してXolaniは戻つてきてゐない。……その話の大詰めでアタシはVijaが「じつは僕もゲイなんだ」的な楽天的な結末かと思つてゐたが予想以上に深刻な「結論のでない結論」なのが見終はつてもいろ/\考へさせられるところあり。この映画、かなり文化人類学的だが同性愛カテゴリーの作品といふことで今季の香港LGBT映画祭での上映だつたが地味な内容で客少な。上映前にゲイ団体の男子二人が会場でノベルティ配つてゐて何かと思へば性病防止のPRで安全套と潤滑液のセット。アタシの目の前に座つてゐた女の子二人が(レズなのだらう)「要らないよね?」と返そうとしたら隣の男子が「それなら貰つてもいゝ?」と。映画終はり漫ろ歩いてゐたらAustin Aveでもはや老舗の「北京餃子店」で扉が閉まり晩二更だといふのに「準備中」の札かゝり店内で老闆が仕込み中。えっ?、そも/\路面のお世辞にもキレイとはいへない店で扉などなければ正月除けば年中無休で深夜まで。何か様子が違ふと思つたら元々あつた店から数軒離れた場所が此処で、旧店舗は依然として営業中。苦節四半世紀?で事業拡張か現店舗で家賃高騰か再開発で出るハメになつたのか。祝移転開業だが個人的には汚くても美味い食肆が店が好き。若い頃から顔見知りの老闆もずいぶんと味のあるオヤジになつてゐた。バーWで2杯だけ独酌で帰宅。


▲以前から拉致問題に取り組んできた安倍首相を被害者家族は深く信頼し「きっと拉致問題を解決するだろう」と期待してきた。しかし家族はいま不安なんです。核実験やミサイルの問題で拉致問題が吹き飛ぶんじゃないかと。「今年中に救出を」とした期限まであと3カ月余りしかない。いま解散・総選挙に踏み切るのだけはやめてほしい。「拉致問題は最優先」というのは口だけだったのか。選挙で「改憲勢力」を確保するほうが優先なのでしょうか。(蓮池透