富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

TramOnoramic tour

fookpaktsuen2016-03-06

正月廿八日。朝八時に西營盤で北京から来港中のD氏と待ち合わせ。西營盤のMTR站は西營盤のちょうど真ん中の正街の坂道と高台の第三街、高街(High St)の地下にあるのだが地下コンコースから直近で出口がなく更に高台のBonham Rdか、第一街と第二街まで下るかせねばならないのだからまことに不便。初めてDes Voeux Rd Westに面したA2出口まで歩くが紆余曲折で400mくらゐ地下道続く。東京駅の京葉線出口も遠いが西營盤站よかまだマシ。家人と三人で蓮香居で早茶。窓際の席でDes Voeux Rd Westを走るトラム眺めながらトラム談義。上環から三人で十時半発の観光トラム(TramOnoramic tour)に乗車。先月だか開業で専用のトラムはかなり豪華。東行きで湾仔鵝頸橋からハッピーヴァレイに入り競馬場周遊して鵝頸橋に戻り銅羅湾のループまで一時間。終点で運転手にD氏謹製のこの観光トラム模型(まだ製作途中)を見せると運転士は同僚にも声をかけ模型の精度の高さに惚れ惚れ。車内にトラム模型や記念品の展示スペースあり模型完成の暁にはぜひ寄贈を、とD氏と話す。午後、官邸で書類整理。夕方、母から電話あり本日、水戸芸術館で昨秋から全国回つた平幹二朗『王女メディア』千穐樂を最前列で見て水戸まで来られた久が原T君に誘なわれ平幹を終演後の楽屋見舞ひまで出来て若い頃から平幹ファンの母は興奮冷めやらず。母のお気にといへば孝夫&平幹なのだが何の偶然か松嶋屋さんには四半世紀近くも前に縁あつて香港で面識を得、平幹は久が原T君のお陰でいずれも母は楽屋見でお二人拝むことが出来、アタシにとつてはこれが唯一の親孝行か。

▼エマニュエル=トッド著『『シャルリとは誰か?』の柄谷行人による書評(朝日)より。

(「私はシャルリ」の)抗議デモは右翼が締め出されていた。しががってそれはリベラルで反イスラム主義と無縁のように見える。しかしトッドによれば現在の反イスラム主義はヨーロッパ単一通貨と新自由主義を推進するオランド政権(社会党)を支持する者たちがもたらしたもの。彼らは保守的右派以上に弱者に冷淡。現在の社会党政権を支えているのは最近までカトリックであった地域か階層。トッドはそれを「ゾンビ・カトリック」と呼ぶ。それが「私はシャルリ」と称する者たちの実体である。

安冨歩著『原発危機と「東大話法」』の一節「傷つけられた人間が集まり同じ傷を共有して舐めあうと「偽りの安心」と「かりそめの絆」とを得られるが、これこそが「共同体」と呼ばれるものを成り立たせている」。同書についての書評(毎日)で赤坂憲雄曰く、原発事故といふ巨大な傷を舐めあひ隠蔽しながら不可視の共同体が今、日本社会を覆ひ尽くしつゝある。福島核禍で「自分の信念ではなく自分の立場に合わせた思考を採用する」人々、「どんなにいい加減で辻褄の合わないことでも自信満々で話す」人々、「自分を傍観者と見なし発言者を分類してレッテル貼りし実体化して属性を勝手に設定し解説する」人々が震災以来どれだけ通り過ぎていつたことか、今も群居してゐることか。「炉心溶融」を「炉心損傷」と言つておくとメルトダウンが隠される。風評被害といふ言葉が現実を黒く塗りつぶす。「寄り添う」とか「自立」と言ひながら密かに「切り捨て」と「帰還」を推し進める。……これらが同書のいふ「東大話法」だそうな。画像はJR原ノ町駅の構内に留め置かれた特急「スーパーひたち」の車両(651系)。1988年製造で(画像は普通車だが室内の椅子など誂へも座席間のピッチもグリーン車のやうで)本当に豪華な車両だつた。現行のE657系はそれに比べると物足りない。晋三は昨日、福島で常磐線の不通区間の現場訪れ2020年に常磐線復旧の目標定めると発言……これも、この「東大話法」か。
▼日経の「風見鶏」より。「護憲」で本当に勝てるのか。野党議員は「アベノミクス一本やりで(国会議席の)3分の2を取っても改憲が承認されたことにはならない」とか「自民党改憲を争点化しないでしょ、勝てないから」と危機感に欠ける。晋三がこれだけ改憲に意欲示してゐるのに「死んだふり」と言へるか。憲法を争点にすれば自民党が敗北するといふ過去の常識(1956年の革新派による3分の1の死守を検証してゐる)衆参同時選といふ追ひ風あれば自民党が3年前の65議席上回る、自公と「お維新」で3分の2に達しないほうが驚き。そのとき護憲派はどうするのか。「争点ずらしにやられた」とは言へまひ。国会前デモの写真見せ「こちらが民意だ」と尚も叫ぶのか。まだ国民投票があると言へやうが晋三が2018年の自民党総裁選で再選され)2019年夏に衆参院選国民投票を仕掛けないとも限らない。護憲勢力はもはや瀬戸際に追ひこまれてゐることを本当にわかつてゐるのか、と。御意。