富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

筒井康隆『旅のラゴス』

fookpaktsuen2016-01-02

農暦十一月廿三日。することもなく午前中は家人と裏山を歩く。昼に鰂魚涌の大利清湯腩で腩河啜りジムに寄り一浴して帰宅。一昨日に洗濯機壊れ修理は週明けで洗濯屋に洗ひ物出す。コインランドリーより手間要らずだが5.5磅でHK$62で1千円。筒井康隆『旅のラゴス』(新潮文庫)読む。昭和61年の刊行で地味に読まれ続けてゐたが昨年になり旧作が話題となり10万部余の大増刷となつた由。

北から南へ、そして南から北へ。突然高度な文明を失った代償として、人びとが超能力を獲得しだした「この世界」で、ひたすら旅を続ける男ラゴス。集団転移、壁抜けなどの体験を繰り返し、二度も奴隷の身に落とされながら、生涯をかけて旅をするラゴスの目的は何か? 異空間と異時間がクロスする不思議な物語世界に人間の一生と文明の消長をかっちりと構築した爽快な連作長編。

とあるが、そも/\ラゴスは「集団転移、壁抜けなどの体験を繰り返し」してはゐない。彼はよっぽどのことがないと、かうした超能力は使つてはいけないと自重してゐる。こんな力量がふんだんにあるなら金銭を奪われ奴隷にも身を窶し命かながら大陸を北から南に、南から北へと旅などしない。奇想天外な話が続くが筒井も造詣が深いラテンアメリカのガルシア=マルケスリョサ、ホセ=ドノソとか読んでゐれば「さもありなむ」な物語で驚くほどではない。むしろ純文学。知識、教養、文学に対する敬虔さ、その探求への意欲、その人生の最期の達観は何か?……このラゴスは『モナドの領域』の全知全能の〈ゴッド〉よりずっと魅力的。なぜか……最後まで迷ひがあるから。ナンセンスさや無理な笑ひもなく小説として上等。読み出したら最後まで止められない、その魅力。これが今の時代になぜウケるのか。この物語に登場する〈大陸〉の人々のやうな人間としての精神的安定が今の私らには欠けてゐるから、これが魅力的なのかしら。晩に昨日入手の荃湾民豐粉麺行の餃子頬張る。
中井英夫(1922〜1993)の日記『流薔園変幻』と『月蝕領崩壊』を中井英夫全集9巻(創元ライブラリ)で数日前に読了。この二編だけで六百頁余で枕元に置きときどき少しずつ読んでゐたもの。他人に見せる日記を書く悪趣味、他人の日記を読む悪趣味で中井英夫の日記は戦時中のセンチメンタルな『彼方より』や『黒鳥館戦後日記』は読んでゐたが『流薔園』は泉鏡花賞受賞し1970年代の文芸界でそれなりの地位を築いていた英夫(自称A)が憧れの北軽井沢に別荘を持ち資料整理や家事は若い助手(本田正一ら)に任せ長年の愛人B(田中貞夫)と文人的矜持で英夫の理想的な生活の日々が綴られる。東京での日常ではなく北軽井沢での別荘生活のときだけの日記。小津安二郎の蓼科日記*1のやうなもの。それが1980年代の『月蝕領』となるとBの喉頭癌の発病と手術、その癌の転移で軽井沢での理想的な生活様式の記述が一転して闘病日記となる。愛するBを救うべく治療と金策、神への祈り、Bの死、その二週間後に英夫が歌人としての才能見出した寺山修司の死も重なる頃、英夫の寂寞感は極まり。

旅のラゴス (新潮文庫)

旅のラゴス (新潮文庫)

*1:小津は普段から日記はつけてゐたが蓼科にあつた野田高梧の山荘・雲呼荘に置かれてゐた日記帳に小津は蓼科滞在のたびに日記をつけてゐる。