富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2016-01-01

農暦十一月廿二日。昨晩も紅白の結果が出る前に、見てはゐないが香港でいへば未だ晩十一時前に寝てしまひ今朝も起きて陽暦で元旦であることも家人に挨拶されるまで気づかず。蘋果日報の宅配が昨日で終はる。ネットで紙面の全記事読めるがやはりどこか物足りぬ。何もすることなく家人とMTRで荃湾、城門水塘まで上がるミニバス長蛇の列でタクシーに乗る。大帽山南斜面の龍門郊遊径を歩く。このコースは初めて。城門から一気に200mほど登りあとは海抜350mくらゐを西へ(約8km)。川龍林道に出て3kmほどで川龍の集落。川龍といへば彩龍茶樓だが、とんでもない混雑(写真)。これほど並んで席を確保し更に点心をゲットするにも難儀。こゝまでして飲茶したくない。荃錦公路からミニバスで荃湾市街。民豐粉麵行で餃子贖ふも餡を皮に包むが間に合はず長蛇の列で麒麟啤酒の遠野産とりたてホップの限定啤酒ロング缶飲んで半時間待ち。雲南米線頬張り爆睡のうち香港島に還る。晩に御節料理。伏見の金鵄正宗飲む。
寺脇研文部科学省』(中公新書クラレ)読む。副題に「三流官庁の知られざる素顔」とあり、著者は文科相で「ゆとり教育」の象徴のやうにいはれ、その見直しで大臣官房審議官から文化庁に実質的に左遷され体感した人なので文科省への怨念でかなり抱腹絶倒の暴露本なのかと期待したが、さにあらず。じつに中央官庁の中で見たら優しい人の集まつた実に良識ある役所だと文科省のPR本か?と思ふやうな内容。文部省といふと律令制の頃からとか明治の学制施行といふ印象があるが戦前は文部省が押さえたのは中央だけで地方の初等教育内務省系。府県知事が任命され知事の管轄下に地方教育行政あり。この実質的な内務省直轄の体制が戦時体制に入つていくにつれ教育の軍国主義化が進んだ原因の一つ。警察と教育を扱ふ内務省が戦後解体されたのは当然で民選教育委員会制度が出来るが、これは戦前の軍国主義教育の反省だかりいはれるが当時は国政選挙に比べ教委民選投票率上がらず左翼政党の組織票で教委が左傾、それで民選廃止となると著者はいふ。それでも美濃部、蜷川、黒田、鵜崎と東京から福岡まで革新首長が登場、80年代の横路(北海道)や奥田(福岡)、触れられてはゐないが飛鳥田(横浜)など「革新系知事の下でも教育の中立性が保てたのは教育委員会制度が機能していたからと言えよう」といふのは言ひ過ぎでは?これら革新系知事のもとで、それほど義務教育まで含め赤化される根拠もない。どうであれ今でも飲んでゐると、すぐ教育談義となるが香港の大企業の代表レベルでも印で押したやうにベタで紋切り型の「日教組批判」となり「日教組など前世紀に方向転換して自社さ内閣で山口鶴男総務庁長官、橋本内閣では久保亘が副総理兼蔵相、文科省の対抗組織ではない」「民主党政権では与党の支持母体」と説明しても要領を得ない。結局この偏見といふか誤解が晋三の教育再生まで見事にいゝやうに利用されてゐる。