富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

逆行するトラム

fookpaktsuen2014-10-11

農暦九月十八日。昨晩は少し飲み過ぎたので遠慮して午前中5kmほど走る。昼抜き。午後遅くZ嬢とお出かけ。北角で56番のミニバスに乗ると普段なら皇后大道東から金鐘を抜けGarden Rdからミッドレベルに往くバスが現状では、といふと銅鑼湾はLeighton Rd抜けるので難を避け湾仔で皇后大道東に入るとルットンジー病院のところからケネディロードに上がり金鐘を迂回でミッドレベルへ。ケネディロードは幹線道路と化して終日の渋滞。トラムは金鐘の佔領区もトラム走行だけは妥協し中環方面から湾仔、ハッピーヴァレーの区間は運行再開。東区は筲箕灣、北角からヴィクトリア公園まで暫定で運行中で、このトラムが「あれ?」と思ふのは後ろ向きで運行してゐること(運転席だけは後尾にも簡易運転席あり)。二階の座席で客が進行方向と逆に坐つてゐるのが面白い。なぜかうなるのか。トラムの行き先表示が珍しい「Victoria Park」で、普段はない行き先なのにちゃんと行き先表示にこれがあることに驚くが、イメージするのは、あゝリーガル香港ホテルのところの円周で方向転換してゐるのか、だが、あそこは中環からの東往き、行き先は「銅鑼湾」のトラムが、この円周線に入りぐるりと方向転換して西往きになるするための線路で東から西往きのトラムはこゝで方向転換は出来ず(それが出来てゐれば「後ろ向き」はあり得ない)、ヴィクトリア公園、中央図書館に近いところで、今の臨時の「ヴィクトリア公園往き」はスヰッチバックを採用。おそらく、だが、このヴィクトリア公園でのスイッチバックが何かの場合にあること想定して、の行き先表示板もヴィクトリア公園往きが表示があるのではないかしら。それにしても香港市民の、この不便のなか臨機応変といふか、よくも柔軟に対応してゐると敬服。ミッドレベルでオリエンタルグラエコ埃及珈琲から上環までいつものコースで食材購ふ。Hollywood Rdにある老舗の家具屋、廣生號結業。昔、先代の社長がいつも店の入り口に坐つてゐて外人客が通りかゝると Look look, come comeと招いたのが懐かしい。1998年に玄関の靴入れと寝室に置く衣服箪笥誂へたのも懐かしいかぎり。店で在庫品の放出セール中の店主に尋ねると「もう商売が難しい時代になった」と一言。路線バスでは不便なので珍しく地下鉄で一気に帰宅。晩はソーセージ、自家製のパンに今日購つた今年初のモンドールチーズ合わせMoulis Medoc Grand Vinの2007年。先週のビデオニュースドットコムに出演してイスラムとは何か、を語つてゐた中田孝氏(同志社大学客員教授)がイスラム国に若者渡航斡旋だかで公安に目をつけられ、いきなり「時の人」になつて驚いたが今週の同番組にも出演して今回の椿事について話すのを見る。この先生、自分のことを「研究者」だと言ふがモスリムとしてジハードで死のうと覚悟してアフガニスタンに渡つたとか殉死の決意ばり/\で研究者どころか活動家として目をつけられたのも不思議ではないか。
▼Andrew Gordon教授(哈佛大学)朝日新聞「ポスト1億総中流」戦後70年へ、より引用。
これから1%の成長率のもとで、どうやって品位のある、よい社会を維持するかを考えねばなりません。日本だけの課題ではありません。リーマン・ショック以降に一層明確になりましたが低成長も少子高齢化も環境の制約も先進国のすべてが、そしてやがては新興国もみな直面する課題なのです。たまたま日本が最初にその壁にぶつかったわけです。しかし、この課題を克服できれば新しい意味で日本はまたリーダーになれるのではないでしょうか。高齢者へのケア、資源の効率的利用、省エネ技術など日本が世界に先駆けて取り組んできた分野があります。その経験を活用して新しいモデルを示してほしい。これは経済成長を終えた成熟社会の話です。日本にとって「ポスト戦後」をどう築くかという挑戦ではないでしょうか。
久が原T君が「品位のある、よい社会」といふ言葉がステキと書いてゐたが、まさに「矜持」あつての社会。その矜持が晋三の「みなさんの力で……ぢゃありませんか」ぢゃ困る。