富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

冬ごもり また寄り添はむ この柱

fookpaktsuen2013-01-21

農暦十二月十日。快晴。朝、母と真言宗豊山派神崎寺。先考掃墓。母も気づいてゐなかつたが墓石の土台の隅に祖父の筆跡で「郷里太田梅照院より改装 昭和十○年七○」といふ石板の嵌め込みあり。風邪ひきの母をかゝりつけの病院に送り旧太田街道を北へ。バイパスから額田(ぬかだ)の町内に入り菓子屋おゝがねで「つぼ焼」といふニッキ味の焼き菓子購ふ。久慈川渡り常陸太田。佐竹の時代からの市街は高台にありJR水郡線の駅は市街手前の低地にあり。JRの駅から見上げる、この市街高台の南端、木崎といふ地に本堂見上げる、其処が梅照院。此処も真言宗豊山派、寺の縁起によると平安時代の開創の古刹で昔は梅龍院といひ額田村にあつた由。境内には
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といふ芭蕉の句碑もあり。本堂の下に庫裏あつたが住職も不在で昔の記録辿ることも能はず。太田の城下町の古い街並も残る市街抜け旧水府村の和田。田舎の字の集落に父方の祖父が昭和初めから亡くなるまで暮らした舊居あり四半世紀以上誰も住んでをらず廃墟化。庭の柿の木も巨木となり垣根が鬱蒼と茂るが荒らされてはをらず。幼いころに夏休みなど遊んだ日々思ひ出す。玄関に筆まめで器用だつた祖父手製だらう表札かかつたまゝで、これを取り外す。直系たる従兄弟のS兄に送ることにする。芦間といふ父方の墓地を拝す。M伯父亡くなり東京からこの郷里に埋葬され初めての掃墓。晝に病院帰りの母を拾ひ水戸郊外の「だぼう」といふ蕎麦屋。母に「美味しいのよ」と唆されミニストップのソフトクリーム頬張る。午後、地元の永井書店。店頭の、普通の本屋なら売れ筋のベストセラー平積みにする場所に、いきなり大型辞書が並び岩波の雑誌『世界』の『憲法論文集』(井上ひさし樋口陽一編)があり田中伸尚の『憲法を獲得する人々』が平積み。そして尖閣の島争ひ関係の、そして韓国・中国の領土について!の書籍が並び「日本人もよく事実を知ること!」と幟が立ってゐる。当然、尖閣=日本領でなく史実や史料を並べ自分でよく考へなさい、と。何とも示唆的な書肆よ。これが「街の本屋さん」だから驚き。奥の岩波新書の書架も圧巻もの。当然、文春新書や新潮社、幻冬社の新書などは扱つてゐない(笑)。陋宅にて母の録画した勘三郎の追悼番組見る。燈刻にスーパー銭湯。行きつけのスーパー銭湯が休みで困つてiPhoneのSariに「この近くの銭湯は?」と尋ねるとちゃんと教へてくれる。賢い。妹と母と駅ビルの寿司屋で夕食。香港の半額以下で済む。
▼話は旧聞に属すが十七日に測量梁が行政長官として初の施政方針発表。かりに評価すべき点あつても蘋果日報など「坊主憎けりゃ」で罵倒する、これならわかるが信報までが「可以說,梁振英政府第一份的施政報告,完全暴露了一個缺乏充足認受性、缺乏管治威信、行政立法關係充滿對立的管治結構的紕漏,並且大大削弱政府施政的權力強度。」とボロクソ(信報十八日社説「五年願景朦朧 施政力有不逮」)。
▼測量梁が行政会議のトップたる召集人に任命の林煥光氏。董建華の行政長官辦公室主任だつたが2005年元旦に女性弁護士と東京に不倫旅行が『忽然一周』誌で暴露され(確か六本木のグランドハイアットだかに宿泊)政府要職辞任。但しその行政能力の高さと人柄の良さは事実で北京オリムピック馬術競技の香港開催で行政職に復帰、で政府の平等機会委員会のトップだつたが、その職のまま兼職で測量梁に行政会議召集人に請はれる。行政会議は行政長官の輔弼、平等機会委員会は独立した組織で場合によつて政府の判断と衝突する場合もあり。具体的にどんな場合に矛盾が……はアタシにはピンときていなかつたが具体的な最初の例となつたのは同性愛者の社会的権益問題。同性愛者婚姻の認可まで問題とされるなか測量梁は施政方針演説で現時点ではについて非積極的な施政。平等機会委員会は同性愛者権益に積極的で林煥光も積極的に言及。だが行政会議としては反対、と、その場合に林煥光のなかでは行政会議の判断が優先されたわけで、さうなると平等機会委員会の独立性が危なっかしいことに。なるほど。