富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

日揮は日本揮発油ぢゃ、そりゃ火種

fookpaktsuen2013-01-20

農暦十二月初九。冬至。快晴。夕方まで国際文化会館に籠りご執務。夕方、独り新宿。常園寺にて掃墓。日暮れ。大ガード潜り東口。ベルグに麦酒一飲。中央線で神田乗り換へで上野。スーパーひたちの新型車両(昨年3月導入のE657型)に初乗車。普通車のシートピピッチはかなり改良されたがグリーン車は旧型の1−2配列が2−2になり一人席無くなつたのが残念(正確には8Aと8Dは車椅子席分あり一人席)。今年四月にはフレッシュひたちも含め全ての「ひたち」がE657型になる由。各座席にコンセント、も便利。実家に戻り夕食。吉久保酒造の「一品」初しぼりのにごり酒、ちびりちびりと一晩で四合瓶飲みながらテレビドラマ、お笑ひ、作家・田中慎弥取材した番組など眺める。アルジェリアのテロで繰り返される(だけで何も報道内容の進展もない)テレビ眺めてながら家族の団欒にて「日揮」って何なのかしら?、元々、日本揮発油かね、と言つたら正解だつた。揮発油の会社ぢゃ、そりゃ火種。
▼朝日の茨城版でいすゞ自動車提供の「いばらき発見」といふ広告記事連載あり「松下幸之助と三木神社」といふ回(2012年12月23日)切り抜きで読む。徳川光圀は父・頼房が堕胎命じた子で命失つてゐるところ家臣・三木之次が藩主の命に背いたことで生まれたもの。その三木之次の子孫、三木啓次郎氏にまつはる話。水戸では偕楽園横の常磐神社境内に三木神社あり、この方夫妻が建立。1918(大正7)年、啓次郎は、桜田門外の変で逃走し大阪で自害した水戸藩士の慰霊に大阪四天王寺訪れ、そこで二股ソケット販売してゐた松下幸之助と出会ふ。商売成功せず困窮していた幸之助に啓次郎は郷里水戸の田畑抵当に入れ幸之助援助。幸之助はこの恩義に応へテレビドラマ「水戸黄門」で松下電器がスポンサー続けた、とも。宮中とも縁もある方で三木神社にある由緒記の題額は三笠宮北辰一刀流免許皆伝で大正から昭和にかけての政財界のフィクサーのやうな方だつたのかしら、晩年は松竹の社外重役?もされてをり、陋宅のアルバムにはアタシの幼いころ(自分で記憶ないのだが)歌舞伎座の貴賓室のやうな部屋で芝居好きだつた祖父に連れられ父母らと三木翁囲み写る記念写真あり。