富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

Kissin plays Listz

fookpaktsuen2011-11-23

陰暦十月廿八日。小雪。秋晴れ。早晩に出先仕事終へ尖沙咀のJimmy's Kitchenでドライマティーニ一飲。外交官某女史とパルキ印度料理店で軽く夕食。柄つきのオペラグラスの話題で盛り上がつたのは今晩の文化中心は「まぁ○○薄爵があのお連れは奥様ぢゃないことよ」「あら、○○講釈夫人ご機嫌やう」なんて場になるのではないかしら?と話してゐたから、で案の定、香港大学創立百周年記念での今晩のエフゲニー=キーシンのリサイタルは紳士淑女多し。2年前のキーシンの香港リサイタルは全曲ショパンだつたが今晩は全曲フランツ=リスト。リスト生誕二百年の由。香港文化中心、ほんと音がよくないから。殊にキーシンの今晩の音は合わないやうに思へる。今晩の演奏ではアタシに最高だつたのはソナタロ短調。これは何かが憑いたやうなキーシン。それにしてもリストのこの曲が作曲されたとき日本は幕末で嘉永6年だと思ふとロマン派といふことでは済まされない曲だと思ふしピアノコンクールでそんなに簡単に若手が演奏できることが可笑しいと思ふ。後半の「巡礼の年」は技巧的には完ぺきなのだろうが贅沢か?といふとどこか物足りなさがある。確かにスイスやイタリアの情景が見えるやうだが貴婦人との逃避行のリストの「いやらしさ」まで含みでないと、この曲はあまり面白く聞こえないのかもしれない。それをキーシンに期待するものぢゃない。ふとキーシンモーツアルトが聴きたくなつた。このピアニストは「今のアタシの気分にとつて」モーツァルト、そしてショパンが似合ふ。
▼談志師匠逝去。中学生のときからアタシはこの噺家に一度も笑へたことがないまヽ。ブラック師匠のコメントが聞きたい。昭和後期、平成を代表する落語家(朝日) 古典落語の名手(時事) 古典落語に新たな境地(NHK) 宝のような存在(三平)……と弔報とはいへ賛辞が並ぶなか「戦後落語界の風雲児」(毎日)が正鵠を得てゐるか。小学校からの同級の落語好きのJ君の記述を顔本より引用。J君も「好きじゃない。神格化しすぎ」と言ひつゝ

談志逝く。好きな噺家ぢゃないが、書かずばなるまい。こちとら小学生から寄席通い(笑)。談志は確かに落語の革命児であったが、全く面白いと思わなかった。若手噺家のバイブル『現代落語論』ふーんって感じで何ら感慨なし、しかし芸をみる眼差しの深い愛情だけはとても好きだった。折々語る芸談。映画・音楽・流行歌から古典芸能全般にこの人ほど愛情をもって「芸」を持つ人を愛した人はないだろう。『談志百選』はその一端を示す。落語を「人間の業」をみせるものとよく語った談志。よく芸を知った噺家が去った。合掌。

御意。これ以上の言葉は何も要らないだらう。本当に芸談は見事。自分の師匠格の名人たちを「志ん生は」「圓生は」とアンタ誰さまだい?といふ感じで高台から物申す、あの太々しさ。確かに「業」の話は興味深いが独演会でさんざん「人間の業」と落語を語られてしまふと面白くはなかつたが談志に「面白くない」といへない環境になつてゐたのがこの人の立川流立ち上げあたりからの悲劇のやうな気がする。

現代落語論 (三一新書 507)

現代落語論 (三一新書 507)

この『現代落語論』はアタシが初めて購入した三一書房の書籍のはず。確か中学三年か。
談志百選

談志百選