富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2011-08-28

八月廿八日(日)晴。午前中裏山を八粁ほど走る。まだ猛暑だが木陰は涼し。昼にSonoma CoastのMac Murray Pinot Gris 07年飲み讃岐うどん。午睡。午後遅くZ嬢と中環。動植物公園に寄るが二ヶ月前だかに産まれたオラウータンの赤ん坊は不在。檻で育てヽいヽのか原生林に戻るべきか、と話題になつてゐたがだうしたことかしら。FCCでフィリピン産サンミゲル二杯。上環に向かひ散歩。馬来咖喱屋に早めの夕餉と寄つたら「人手不足で」日曜休みの由。何年ぶりかしら?で中環和安里の明珠なる越南料理屋に往くとこヽは休業日なのか閉業なのか。鏞記酒家の裏側のまるでアートのやうな厳重壮大な排気ダクト見上げる。結局FCCに戻り公司三文司頬張りBloody Mary二杯。帰宅して読書。ようやく三月の震災直前だかに発行の朝日ジャーナル緊急増刊「日本破壊計画」読む。佐藤優帝国主義外交論と広井良典千葉大法学部教授)「創造的定常経済の構造」を除けば、これといつた提言も無し。強いていへば川本三郎中森明夫の対談は面白いし原平先生の櫻画報も良い。があまりに過去の記憶。実は一番面白かった記事が「なぜ彼女たちは「ギャル」になったのか」といふルポだつたりする。山口二郎の政治論も「政治とは悪さ加減の選択である」といふ一言を除けばかつての反自民党で政権交代の頃のやうな明るさもない。内田樹先生の指摘を待つまでもなく朝日ジャーナルの時代の終焉なのだが実は朝日ジャーナルは戦後の若者の思想的象徴なのでなく一つその上の世代、戦争で青春を失つた若者のオトーサンたちのルサンチマンだつたのだ、といふ樹先生の指摘は当時を知らぬアタシには興味深いところ。