富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-10-02

十月二日(金)快晴。摂氏28度でもすつかり空は秋晴れ。天道(てんだう)がだいぶ南に傾き、夏の白昼夢とは市街の様相かはり光と影の面白いコントラスト。こんな日はライカさげて町歩きしたいが悲しいかなご執務。夕方、金鐘の映画館で「建國大業」見る。この映画の題名は「建国」を用ゐてゐるし朝日新聞なども昨日の国慶節を「建国六十周年」と称してゐるが1949年は中国の「建国」なのかどうか。1949年は中国の建国の年でも一つの国(たとへば中華民国)が亡くなり新しい国家の建国の年でもなく、中国の歴史で何千年と繰り返されたこの大原を掌握する一つの政権が崩れ混乱の後に次の新たな政権が現れるといふ改朝換代。精確には中共の建政六十年だらう。1949年の十月朔日に毛澤東が天安門の楼上で叫んだのは「中華人民共和国中央人民政府今天成立了!」。中華人民共和国今天成立了!、とよく略されるが中華人民共和国の成立より本来は中央人民政府の成立が精確。でこの式典は「建国式典」ではなく「開国式典」と言はれるのは新政府の樹立宣言だから、で北京では中南海中共主導で中国人民政治協商会議の全体会議が開かれ北平を北京と改称し元号中華民国暦を用ゐず西暦とし義勇軍行進曲を暫定的に国歌として五星紅旗を国旗とすることなど決め人民政協全国委員会の180人の委員を決め(本来は全国での普通選挙実施が望まれたが国境内戦の最終段階でそれも不可能)中央人民政府主席に毛澤東と、その他の副主席(朱徳劉少奇宋慶齢ら)を選び、この全ての最終決定が終はつた後、中南海を出た一行は天安門の楼上に上がり毛澤東があの有名な「中華人民共和国中央人民政府今天成立了!」を宣言する。国民党が一党独裁の、そして孫文以降は軍事政権であつたのに対して新しい人民政府は中共の主導で泛民主派が結束し多党制の民主政体なのだ、と(その後の共産党専政、民主諸派の骨抜き、反右派闘争からの歴史はこゝでは言及せぬ)。さういふ時代の新政府の成立までを(以下、映画の筋など言及あり)この映画も国民党の崩潰から描き、筋としては上述のやうな、いかに中華人民共和国の成立が合法的であり中共専制でなく諸派の合意があつたか、を強調する内容(繰り返すが、当然、その後の諸派一党独裁への動きは触れない)。映画としては淀川先生なら「いや〜、中国を代表する俳優がたくさん出てゐましたね〜、台詞のない人もけっこうゐましたが」かしら。「建国」の偉業をもつとプロパガンダ的に宣伝する胡散臭さかと思つたが、予想よりずつとソフィスティケートして出来てゐた。が良く出来てゐる、といふことは諸派の合意を得て中共が主導となつた合法性の強調。役者は中国のオールスターキャストで慥かに主立つた歴史上実在の人物はよくぞこゝまで似た俳優を、と思はせる(先日のNHK白洲次郎のドラマでの岸部一徳近衛文麿吉田茂役の原田芳雄のやうな)キャスティング(主演級の俳優の多くが実はすでに外国籍であることが批難もされてゐる)。一般的な印象とは逆に周恩来が感情的で怒りつぽく、毛澤東が実に柔らかい大人(だいぢん)風。で、映画の題名の話に戻るが、これは「建國大業」でなく中共がどう民主諸派を取り込んで人民政府を作つてしまふか、のまさに「建政大業」だらう。この映画での英語でのタイトルが“the founding of a republic”なのは正しいところ。ところで数日前の蘋果日報に1949年当時、新華社の副社長で楼上でこの宣言をば取材した李普の興味深い回億あり。毛澤東はこの宣言のあと宣言文ともう一條の巻紙をば李普に渡す。宣言は毛澤東が読んだ通りだが、もう一枚には人民中央政府の要職につく56人の名前が並ぶ。楼上では読まなかつたので新華社に流しておけ、といふ指示。李普の記憶ではその56人のうち27人は非共産党人士。中央政府の要職のかなりが非中共の民主派に占められてゐたのだが、中共建政後、これはすぐに歴史の一頁となり民主諸派が骨抜きされ中共の傀儡となり中共一党独裁となるのだが、その萌芽はすでにこの「中華人民共和国中央人民政府今天成立了!」の当日に毛澤東が中央政府の要員の名すら敢へて読まなかつたことに表れてゐたもの、と。当然、映画では毛澤東のそんな悪知恵は片鱗すら見えるはずもなし。映画終はつて鰂魚涌。East Endに赤のChimay麦酒飲みZ嬢を待つ。最近、銅鑼湾East Endが多かつたが鰂魚涌のこちらは従業員が「久しぶり!」と笑顔で歓待される。シメイ麦酒を二杯飲んだところでZ嬢来て太古坊のZiti'sなるピザ屋に食す。2016年のオリムピック運動会の選定を中継で眺める。たゞ一言、アタシの「石原に勝たせなくなかつた」本望成就。強気の都知事の落胆の表情に溜飲下がる思ひ。新銀行と五輪誘致のこの二つの失敗だけでも都知事辞任すべき責任に値しよう。東京で今更、オリムピック運動会する必要もない、とアタシは考へるが前回の東京五輪に合はせ首都高整備し日本橋の上に掛けちまつた高架道を地下化するなりで除けるには五輪開催は絶好の機会だつたのだが。

▼北京中関村O氏曰く北京では国慶節に向け消雨ロケットやつたといふ話あり。前日までは北京は瓦斯がかゝつて空が真つ白、で夜に雨が降り翌朝の、あの晴天。去年のオリンピツクの時も何度か同じやうな現象あり。たゞ降らせ過ぎで中関村の地下鉄の駅周辺が水没(笑)。翌日は国慶節の時のやうな快晴だつたといふ。
▼中共建政60周年での新聞の特集いくつも読み1949年前後の興味深き逸話少なからず。中共は建政以前すでに香港商界に対し中共が大陸の政権奪取後に備へ着々と「統戦」工作進めたが、例へば中国銀行は国民党が台湾への敗退後に海外の中国銀行資産をば確保しようと努めたが香港の中国銀行香港支店の経理人•鄭鐵如が新中国建設に共鳴し、その動き察知し事前に香港支店の資産で中環の土地購入し現金が土地に化けては国民党も台湾に持ち出せず。このHSBC総行隣の一等地こそ後に中共系の中国銀行大厦建立。舊中国銀行の建物の礎石に鄭鐵如の揮毫が遺る。また1946年に香港の新界屯門青山に創設の「達徳学院」は中共の周恩来(中央政治局委員)と中共南方局書記の董必武が籌画し容共の民主諸派の合作で開校。国境内戦の混乱で香港に疎開の知識人少なからず達徳書院では茅盾、郭沫若、喬冠華といつた信じられる講師陣。また普慶戯院なる映画館は中共資本で左派革命映画の専門館の一つ。二十年くらい前に再開発で映画館の上に現在のEaton Hotelが入る高層ビルとなつたが当時は大陸の映画で陳凱歌、張藝謀、田壮壮ら所謂「第五世代」の監督の作品の他、台湾の侯孝賢や楊徳昌などの作品のかゝり当時、アタシにとつては一番よく足を運ぶ映画館であつたこと思ひ出す。かつて中共の左派映画館とは知る由もなし。
▼香港もご他聞に漏れずインフルエンザ流行留まるところ知らずの感染拡大だが香港政府は指定病院での「新型」罹患の如何の検査を妊婦や乳児、医療従事者や症状悪化の患者に限定し、それ以外の罹患者には通常のインフルエンザ処方のみとし今後は「新型」の感染者数公表もせぬ、と決定。常識的、冷静で好し。
▼久が原のT君とドナルド鬼淫先生の荷風の日本語懐古の話(朝日新聞に先日あつたもの)から鬼淫先生や湯島在住された祭殿ステッカー先生の話となる。祭殿先生がなぜ湯島だつたのか=蔭間の昔を知らぬはずもなし、不忍池からノガミの関係もあり?といふ憶測もあながち間違つてはゐないかしら。鬼淫と祭殿の日本文学の両碩学は微妙な緊張関係にあつたとか。茶道でいへば表と裏。同じ日本文学でも鬼淫先生は文人交流志向で祭殿先生は下町漫ろ歩き志向。だがそのいづれも荷風散人に纏ふところが興味深い。

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