富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月十六日(日)二週間前に続き今日はアタクシを含め六名でMacLehose TrailのSection 3を歩く。北潭涌から延々坂道の中央にカラーコーンが置かれ何かのレースにしては大袈裟な、と思えば同行のB君の話では自転車レースで昨年、暴走でバスと衝突?で死傷者出て、のこの措置。だがかなりの数の自転車競走では車道狭くなると今度は接触事故とか起きやせぬか。午前九時に北潭凹の峠。曇天に恵まれ気温もけして暑からず、かなりのペースで歩いた結果、11:45には西沙路の峠に下る。西貢に戻り海鮮料理でビールを飲みましょう、と、それにしても海傍の料理屋どこも凄い人出。でも街市に近い方まで行けばどの店も閑散。西貢金輝海鮮菜館なる食肆でゆっくりと蝦や蝦蛄、蜊など頬張りながら大いにビール飲む。ジムでサウナ一浴し帰宅。夕方、午睡。半藤『荷風さんの』続き読む。晩に茄子を煮て、里芋の豚汁に栗ご飯。秋近し。
半藤一利荷風さんの戦後』。これが荷風散人断腸亭日剰の当時の世相含んでの読み下しであるだけなら日剰既読の者には面白くもなし。それが半藤一利の筆にかかると例えば荷風散人の罹災後の岡山での日々を同じ日の文豪谷崎の日記と対比させ、戦後の市川での暮らしも荷風の従弟で長唄の師匠である杵屋五叟の日記を引くから荷風散人の変人ぶりが顕になり「荷風日記の面白さは自分を悲劇的な人物に作り上げたり、世に容れられない不遇で孤独な詩人に仕立てたりしているところにある」(河盛好蔵)の指摘も首肯けるところ。しかしここで終わらないのが半藤氏の真骨頂。五叟の部屋から聞こえるラジオの邦楽番組が五月蝿いと苛立つ荷風の、その耳の敏感さに注目し?東綺譚の
物に追はれるやうな此心持は、折から急に吹出した風が表通から路地に流れ込み、あち等こち等へ突當つた末、小さな?から家の?まで入つて來て、鈴のついた納簾の紐をゆする。其音につれて一しほ深くなつたやうに思はれた。(以下略)
といった筆致を挙げる。実に巧い、半藤氏の持ってゆき方が巧い。小岩の東京パレス、の話も年寄りには懐かしが東京パレスについて「あの」高倉健が女郎屋通い語る1975年のキネマ旬報の記事(こちら)見つけ読む。

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富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/