富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月廿七日(水)キリンビールに瓶ビールの「大びん」について問い合わせると、キリンビールのお客様センターから「大びん」の読み方について返事あり。麒麟麦酒では大瓶の読み方は「ダイビン」または「オオビン」の併用(地域によっても異なる由)。但し「製造部門では「ダイビン」と読むことが多い傾向がございます」ってのが、実にいい。営業部門は世間に合わせて「おおびん」と呼ぶ。が、製造部門では「てやんでぃ、何がオオビンだよ」と。ビール製造何十年の職人が「ビールは飲んだら何になる? 小便だよ。チイベン、って言うかい? ありゃショウベンだ。だからビールだってオオビンじゃなくてダイビンなんだよ」ってな感じでね。早晩にジムで初めて柔軟体操「のようなもの」一時間。Z嬢がよくやっていて丁度それをする、というので見よう見真似。続けて一時間の有酸素運動。帰宅して晩飯。最近、カレーライスとか所謂「ごはんもの」以外は「おかず」だけで米を食さず。ビールも「とりあえずビール」は飲まず。かわりに麦茶など飲んでいたが食事の際に水物をとると、どうもガブ飲みする嫌いあり食事を胃の中に流し込むようで腹は膨れる。で汁物だけで水物なし、となる。すると今まで以上に料理の味に敏感になり、水物をとらぬと塩辛いものや油っこいものも避けたいし、よく噛んで食べるから身体にも良い。そういえば「向田邦子な時代までは」お茶は食後、であった。食後に卓袱台でさっとお茶を煎れてご飯茶碗に注いでご飯の残りをさっと(……と山田洋次監督が『武士の一分』で木村拓哉主演の侍にその作法で食事をとらせていたのが最近印象に残ったが)。なんか最近「養生訓」のようなことに言及増えてやせぬか……年寄り。食後に桜桃いただき食後酒とバランタインの21年をストレートで少し飲んだら晩十時だというのに睡魔に襲われ臥床。
▼或る知人と話した「日本の改革に必要なもの」。教育基本法や関連法案の改正、教育再生会議愛国心の高揚などで日本は救われず、具体的に何が必要か、といえば、まず英語表記のJAPANを止め「日本」とNIPPONへの統一、学校教育の9月始業の導入(4月始業は日本の伝統に非ず)と道州制による地方自治拡大。保革の枠を超えている提案で民主党あたりが主張すると面白いのだけど。
猪瀬直樹氏が東京都副知事に。都知事が石原でも美濃部でも、この人なら副知事になれるだろう。
▼NW9で自転車で子どもを乗せる「補助椅子」の危険性ついてレポートあり。自転車に補助椅子で子どもを乗せる場合の安全確保、規制……などと述べていたが、ところで補助椅子つきの自転車って日本以外で普及しているかしら。香港は子どもを乗せる以前に日常生活で自転車は使われず、自転車大国中国ではどうだったか……といっても今や自動車大国。子どもを二人も自転車に乗せてスーパーに買い物……なんて想像できないのが「日本以外の」常識。歩道を自転車が走るもの日本の異常な光景。
▼九龍新蒲崗の工業ビルで大麻製造謀った男二人御用となる。警察は1,300株の大麻押収。年4回の収穫として年間HK$200万の由。かなりの収益と思えるが、この大麻製造場所、賃貸の広さは4,000sqfで、ざっと計算すると年間HK$500/sqfで12ヶ月で割れば月にHK$41.7/sqfの生産高(売値ベース)だとすれば賃貸の高い香港では非合法の商品扱う=検挙されるリスク考えれば大麻製造はけして利潤高いとはいえず。
香港大学の法学の偉才、戴耀廷先生が「特区十年:十大憲政事件」を信報に書いている。香港返還からの10年でいったいどういう具体的な事件が香港の憲政(法治)に影響を及ぼしたのか、と。まず「張子強」案。港澳に勢力張る暴力団幹部だが中国国内でお縄にかかり刑事裁判となったが本来、法制と司法は別であるはずの香港での違法行為も含め内地で審判されたこと。二つ目が「胡仙」案。星島日報が発行部数偽った問題で社主の胡仙については当時の律政司・梁愛詩が「公共の利益」を理由に不起訴決定。胡仙が北京中央と董建華と親密な関係あり、の超法規的措置で香港政府の法治感覚の欠如顕わ。三つ目が「内地子女居港権」争議で四つ目が「四大護法」登場。全人代全人代常委の立法行為のうち香港に関する案件については香港の最終裁判所にそれが基本法に見合うかどうかの審判権があるとする香港の司法判断につき内地の法律専門家が猛烈に批判、その御用学者らの意見=北京中央の意向。五つ目に「第一次釈法」。内地子女居港権につき香港司法が居留権ありと審判したものを「こともあろうに」香港政府が全人代常委に対して法解釈を依頼。全人代常委は居留権なしと判断し香港の司法判断転覆。六つ目に「基本法23条立法と71デモ」を戴耀廷先生は挙げる。董建華行政長官らに対する不信感、政府の強硬な23条の治安条例の立法化などに対して反対の50万人デモとなり香港の政治無力感が払拭された(あるいはそうならざるを得なかった)もの。(今日の信報にはこの6つ目まで、で残りは後日登刊の由)