富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-06-26

六月廿六日(火)蘋果日報の朝刊の見出しや残酷な写真にも今更いちいち驚かなくなっているアタシも「1女4男 中二學生玩5P」には朝イチで「まったくもぅ……」と。あたしゃ目覚めの寝惚け眼でこの見出しみて「えっ、中二がナマで5Pを学習?」と読んでしまったが当然、中二の学生が、であった。14歳の中学2年の女の子が同級生の男子7人を連れて自宅に戻り、そのうち3人は居間でHビデオ鑑賞していたが残り4人(中学2年といっても15〜17歳、何かの事情で留年組か新移民か)を連れて自室に籠り4人相手に(結果的にナマ、なのだろうが)口交始め(と荷風散人も驚きの淫娘なり)そこにこの女の子の父親が帰宅。娘と学生らは「即時作鳥獣散、慌忙逃離寓所」と(……日本語ならさしずめ「一目散」だろうか)この漢文の漢字の書き文字としての「即時作鳥獣散、慌忙逃離寓所」の躍動感と音の響きの良さ。いや漢文の筆致に感心している場合ぢゃないが。早晩から各一時間の有酸素運動と筋力運動。ほんと「どうしちゃったの?」というくらい、このところ毎日規則正しく最低でも一時間は運動して、のストイックな生活。随分体重が減ったと感動していたが内科の定期検査の結果が届いたら標準内ではあるが正確な標準体重まではあと6kgも減量が必要で驚く。ところで、ジムで運動の途中の着替え中に自分のロッカーの前に真新しいナイキの速乾性のシャツあり。誰かの忘れ物か、周囲に着替え中の御仁もおらず。誰のかしら、職員に届けてやろうか、いやこんな一枚、忘れたら忘れた本人が「もう無くしたもの」と諦めているか。下手に置いてあっても掃除スタッフなら捨ててしまう鴨。それならいっそのことアタシが貰っちまっても罰は当たらないのぢゃないか(って立派な犯罪だが)……などと良心の呵責と戦っていたが……ふと思えば「これって、あっしのだよ」……まったく。さっき着替える時にロッカーに仕舞い忘れただけ。自分のシャツを目の前に「これをあっしが貰っても」と勘三郎新橋演舞場でやる野田秀樹脚本の芝居だね、これじゃ。
▼昼に薮用あり香港日本人倶楽部。今年春に移転した、このビルから銅鑼湾を眺める。香港は高層ビルが林立するので、高いところから見下ろすと面白いほどの普段見慣れていない、面白い眺望に出くわすことあり。今日もその一つ。超高層ビルに囲まれた一角、といっても低層に見えるが七、八階建てなのだが、は銅鑼湾の、建て直し中のHennessy CentreとThe Lee Gardensにはさまれた一角。デベロッパーが虎視眈々と「再開発」狙うことがよくわかる眺め。居酒屋一番があり、ブルース=リーの『死亡遊戯』で敵のドクター=ランドの実は本部であった(笑)四川料理の南北樓がある。もう一方は、かつて大丸百貨店香港店のあったPaterson街。1960年頃の都市開発。怡和街に接する一角は歩行者天国。この一帯、街道の広さ、殊に香港では貴重だが歩道がかなりゆとりがあることは特筆すべき。ここだけ凝視すると一瞬、巴里に見えなくもなし。ビルの高さや一連のファザードも設計の均衡も良い。紐育の摩天楼ほどになれば別だが都市建設というのは、このくらい抑制が利いて調和あるべきもの。香港では1950〜60年代でこの発想は消滅。九龍の太子(Prince Edward)のSycamore街一帯が見事。