富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月八日(日)本日も耶蘇の復活祭の連休の最中だというのに映画三昧のはずが時間もとれぬまま一日が終りそうになり「強制終了ボタン」押して太古城UA映画館でZ嬢と映画『14歳』見る。「ぴあ」関係の作品で久々に「フィルムらしい」映画でカメラの固定されていない微妙な「揺れ」は敢えて登場人物たちの心理状態の表現なのかもしれないが、やはりカメラが揺れていると気になって。録音の悪さもあえて声がよく聞こえないことの意図的な表現なのかしら。なんだか技術的な未熟なのか意図的な表現なのかが微妙(役者の演技も含めて)。それにしても全くワケのわからない14歳の若輩者や心に傷のある大人やばかり登場するのだが登場人物でアタシにとって最も奇妙で怖い存在は若い先生が相談に訪れる心の病専門の女医。あの、登場人物のなかで唯一人、完全な人格を演じるあの存在が最も怖い。映画跳ねて「食のツンドラ地帯」太古城で西苑酒家に食す。といっても鹵水滑豆腐、通菜に揚州炒飯(当然、炒飯は食べ切れずお持ち帰り)。麦酒も飲まず。帰宅してテレビつけるとNHKの選挙速報で石原慎太郎さんが都知事選当選確実。天晴れ。得票を見るとやはり共産党による独自候補擁立と公明党の「おかげ」か、での石原当選。元宮城県知事の得票に共産党の元足立区長、それに石原の得票の少なくても1割が公明党票だとして(実際にもっと多いはずだが)(まだ開票完了しておらぬが)石原に20万票さくらいまで接近。わけのわからぬ反石原の建築家だの信濃町の徒花・桜金造の票を足すと石原得票を越えてしまうのだが。余の二月晦日の日剰に書いた通り(以下、引用)
東京都知事選に浅野史郎氏が立候補の意志固めた由。これでも石原再選となったら、もうお終い。活力ある東京、強い日本だかなんだか知らぬが、オバサンだの障害者だの社会的マイノリティや外国人が差別される東京、都知事がまともに登庁せず接待交際費に海外出張手当浪費で息子にギャラ払っても許すのなら、あたしゃ本当に都民とはもう絶縁だよ。2000年にブッシュが米国総統に「選挙で選ばれて」からブッシュ在任中は絶対に米国には足を踏み入れぬ、と決めたが石原再選となったらホントなら東京には足を踏み入れず、としたいところ。選挙のカギはまず日本共産党共産党が独自候補擁立を取りやめぬと反石原票が全て死に票に。そして何より公明党支持者の良識。党の「なにがなんでも与党シンドローム」に与するか、自らの良識を票にするか、の判断。それにしても石原落選は本人にとっても自民党にとっても末代までの恥となるから、こりゃ総力戦。公示前に形勢不利となったら自民党は(そもそも石原を「公認」ではないのなら)最後の切り札で小泉三世の擁立とか(笑)。だが、ふと思えば、石原慎太郎都知事に選んだことで、あたしゃかなり都民に罵声を浴びせたが、石原君を都知事に据えてくれたことが石原首相待望論(って本人がそう待望したのだろうが)抑え石原首相実現がならなかった直接的原因と思えば、石原君を都知事にした都民のそれは良識であったのかも、とふと思う。
という次第。日本共産党も独自候補擁立以外に何かセールスポイントはないのかしら。それにしても公明党がよくわからず。本来、障害者福祉であるとか外国人差別、教育問題や婦人蔑視など公明党支持者の諸君にとって最も退けぬところ。石原が浄化目指す歌舞伎町や新宿二丁目公明党にとっては地盤の一つなはずで、そういった底辺から石原都政に対してノーの声が上がりそうなものだが、国政での自民党に擦りよっての与党化以上に公明党にとっては都政という身近な処で公明党がなぜ反石原になれないのか。桜金造候補の捨て身の立候補もその徒花か。そういう意味で本来、日本の政治のキャッチャングボードになるべき立場でありながら日本共産党公明党こそ、独自候補擁立という呪縛と与党フェチという体質で実質的に本来、最も嫌っていたはずの自由民主党の保守政治を支えているのだからご立派。嗚呼、それにしてもあれだけ我が侭し放題の石原慎太郎に、それでも支持してしまうメンタリティっていったい何なのかしら。今の日本にとってオリンピックのような情熱が必要、と石原慎太郎は言うけれど、オリンピックとか博覧会とか、そういう見た目だけのモノで幸せになれてしまう、その悲しさ。『太陽の季節』の、障子を勃起した男根で突き破る、ってまさにオリンピックや博覧会なのだ、と今更ながらヘンに納得……とても馬鹿馬鹿しいが。

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富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/