富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2005-12-20

十二月廿日(火)晴。寒さ続く。早晩にFCCにてバーに入るなり「抜き」のハイボールが供される。東京の蕎麦屋で「抜き」といえば天麩羅蕎麦の蕎麦抜きで、高橋義孝先生などもそれを好んだというが、あたしゃどうもそれに食指進まず。どうも「浅ましい」。でハイボールの「抜き」というのはウイスキーを抜いたらただのソーダ、でハイボールにならず、「氷をいれないハイボール」を勝手に「抜き」と呼んでいるがFCCバーテンダーに“A glass of Nuki Highball, please!”と言っても通じる筈もなくhighball with no iceだが週に何度も注文していれば自然と「いつもの」となる。でその「抜き」を一口飲んだところに電話入り急患の患者あり、と。まさか放っておくわけにいかずハイボールを「ぐぐぐっ」と飲み干してタクシーで診療所に戻る。小一時間で応急措置済ませ予定が狂ったので、予定といってもたんにFCCハイボールを飲み新聞をじっくり読み地下鉄で数独をしながら帰宅する、というだけの話だが北角に出る車あり便乗して北角の和富道は勝利小厨で馳名の海南鶏飯をば購い帰宅。鶏肉の美味い海南鶏飯はいくらでもあるがチキンストックで焚いた飯の美味さでは此処が格別。
▼昨日、アンソン陳方安生が突然の記者会見開き2012年の普通選挙実施について自称政治家Sir Donald行政長官に対して「曽司長は香港市民の世論の高まりも考慮して2012年の普選実施実現に向け中央政府に対してもっと働きかけるべきだ」と提言。Sir Donaldを「曽司長」という呼び方が元・上司とはいえ不遜なのがいい。「内地護法」と称される、つまりは単なる御用学者の許崇徳(人民大学法学部教授)は「満園春色關不住、一枝紅杏出牆来」と宋詩を引き合いに。春の気配は庭園に満ちあふれ、そこに押し込めておくことはできず、一枝の紅杏が壁から外に伸びてきたよ」と。もともとは春の季節に若い人の求愛を謳っているが「一枝紅杏出牆来」は女性が貞操を守れなかったことを揶揄。すでに第一線から退いた筈の陳女史がまた小癪にも市民の民選世論に乗じてしゃしゃり出てきて。いずれにせよ御用学者とはいへ宋詩をさっと引き合いに出すだけはさすがに文人としての素養。
新華社が11世パンチェンラマのチベットはXigazeでの信者数千名集めての法要開会について報道(こちら、続報)。歴史的にも有名な1葉の写真から語るべきだが毛沢東を真ん中に左に若きダライラマ(当世)と右にパンチェンラマ(10世)。ダライラマは承知の如く印度に亡命しパンチェンラマが国内に残り中共の親任得るが10世は89年に逝去。ダライラマがパンチェンラマ10世の後継に選んだGedhun Choekyi Nyima少年は母とともに中共に幽閉され(今日までそれが続き消息不明)中共が選んだGyancain Norbu少年が中共公認の11世パンチェンラマとなる。この少年も今では16歳。そろそろ大々的にチベット仏教の領袖になるべく満を持して、か(御真影)。ビートたけしの映画はあまり好きではないが『教祖誕生』だったか、あの映画を思い出す。
李嘉誠の息子(Richard Leeだったか、だが一生「李嘉誠の次男坊」だろう)が経営するPCCWか或いは他の傘下会社が信報をば買収画策という噂もあり。信報は林行止社主の独立紙であり、だからこそ香港の高級紙として称賛に値するのだが、李嘉誠財閥の市場寡占で新聞マスコミは確かに不足。で信報。林行止社主は売却話などないと一笑に付すが社主も老いれば経営の第一線から退く。かりに信報が残ったにしても林氏なきあと信報の質が維持できるかはかなり疑問。査良?氏が始めた明報が査氏の引退による余于海氏への売却移行かつて「香港の朝日」と呼ばれていた(近代以前の「社主制」という意味ではない……笑)新聞が「地に落ちた」ように林氏なきあとの信報など想像するにも悲しい。でその信報の林行止専欄(12月19日)で反WTOの総括が見事。要旨をば綴っておけば以下の通り。小規模農家は遅かれ早かれ「時代の巨輪」に淘汰される悲しき宿命。(その農民らの抗議活動もかなりの巧妙さ発揮したが)香港警察も暴動鎮圧のためにどれだけの人力、組織力と技術的、資材的な規模を誇るか、を実質的お披露目。韓国人のデモに比べ香港市民のデモなど甘いという指摘もあるが(陶傑氏ら)香港は香港らしい平和デモを堅持すべき。今回のWTO会議開催で香港に会議出席者とマスコミだけで2万人が訪れHK$1億を落としたが会議開催の経費はHK$3億。会計的には大損。こういった国際会議の開催できるノウハウの宣伝くらいがメリット。WTO閣僚会議は99年のシアトルから何れの国も主催など逃げたが香港は03年に董建華が成績上げるため立候補して他候補地も出ないままの開催権獲得。次回の開催地は全く白紙。韓国の農業に眼を向ければ米国の農民の割合が全人口比で2%以下、日本が5%なのに対して韓国は7%と高い。農産品輸入に高い関税かけることで日韓の農業補填は60%に至る(つまり農民が100ドルの収入得る時そのHK$60が政府補助金であること)。素直な経済の理論なら関税など撤廃され安い商品が市場に回ることが理想的はあはずだが日韓の場合なぜ政府が貿易障壁の解体に動かないか。政権与党が農業保護することでの得票への期待。だが先進国が貿易障壁と輸出支援を撤廃すれば貧窮国の農業収益はUS$300億で、しかし仮に後進国が門戸開放し輸入関税など撤廃した場合の収益はUS$1100億円に達するという。韓国は途上国でないのだから農業保護政策を取り消せばかなりの収益得るのが事実。経済がこの利益に無頓着ははずもなく、これでは農民の末路は無条件で絶望的。
週刊文春で「海老蔵米倉涼子破局」の陰に父團十郎の巨額負債、という記事あり。役者のおかみさん業がいかに大変かという流れで「タレントから嫁いでよくやってるのは中村橋之助と結婚した三田寛子くらい」と。参議院議長扇千景閣下に失礼な話。
▼先日、仙台市長町地区再開発にて中華街構想に市長が慎重な姿勢と紹介したが魯迅先生の仙台医学専門学校(現東北大医学部)留学時のノート(複写DVD)を、このたび北京魯迅博物館が東北大に寄贈。小説「藤野先生」に登場する恩師・藤野厳九郎による朱筆の添削もあり。市長がこういった仙台と中国の歴史をどう考えるか。あまり期待もできぬ、か。ところで仙台市立博物館の前庭に「魯迅の碑」がある。1960年建立のきっかけは50年代に日中友好協会宮城県連会長を務めた故・高橋剛彦氏(東洋刃物株式会社社長)が55年の実業団第1回訪中の後に建立を主張。高橋氏のことを今では知る人も仙台でも少ないが当時、業界シェアで日本有数の刃物メーカーで「左派社会党支持で知られる異色の青年社長に労組もタジタジ」、春闘のときは組合側に「もっと毅然と要求出せ」と注文というのが想像しただけでも可笑しいが。で、この記念碑建造は土地を取得するアテもなく計画は頓挫か、と思ったところに「革新市長」に初当選の故・島野武市が仙台市博物館建設用地の一部を提供。こうした時代の理性を現市長がどこまで理解しているか。「ただの革新、親中」と嗤う勿れ。「魯迅の碑」という題辞は当時の中国行政院長の郭沫若の筆。中国婦人代表団団長の許広平女史(魯迅の教え子でで晩年の愛人)を招き61年に除幕。

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