七月廿七日(水)朝刊が届くより早く目覚め朝刊が配達になり拙宅の扉前にパタンと落ちる音を聞く。朝日新聞にニッポン人脈記なる連載で「国家再建の思想」なる「旧制高、朽ちぬ青春賦」とあり旧制静岡高校、静高といへば中曽根大勲位で「国家再建の思想」の主旨、成程。大勲位といふと改憲私案で読売新聞の印象強いが、この「旧制高校の精神」追憶は、これを読めば立場的には産経の財政界のオトーサンたちも朝日の書きぶりに「若い頃の気持ち的には朝日」で満足かも。で、読めば書き出しの一文に驚いた。「その昔、日本各地に旧制高校という学校があった」と。その昔、といふ表現は「その昔、日本各地に国分寺という寺があった」なら「その昔」だが旧制高校も「その昔」か。我もさすがに旧制の中学、高校に学んだ程の年配ではないが「旧制」はけして遠くない世界。その筆者が余程若輩かと思えば早野透君の執筆で早野君は終戦の年生まれ。それでも旧制は「その昔」か。余の祖父が営む食肆は地元の旧制高校の学生で賑わい当時の学生は早晩にちょいと食して花街に繰り出すといふ粋な時代。旧制高校といへば全国各地から学生集まり寮生活。寮祭。戦後に同窓会ありすでに政財界で活躍する者多き同窓生が同窓会開くとなると寮祭の再開となる。で祖父(正確には義祖父)がその同窓の寮祭に招かれたがすでに老いて祖父の姪にあたる我の母方の祖母が祖父の代わりに寮祭に行くのに幼き我を連れて出かける。祖母は当時、その食肆で謂わば看板娘。祖母に「あの当時は西園寺公とか作家になった船橋聖一とかね、来てたんだから」といふ話など聞いたもの。で当時は未だ残つていた旧制高校の校舎校庭で我が見たものは、戦後もだいぶ経ちかなりの年配の男らが校庭に櫓を組み学生帽、袴羽織に高下駄のバンカラで泥酔して寮歌を合唱。目を転じればファイヤーストームのまわりでドイツ語だかで合唱。「なんだぁこの世界はっ……」と余は絶句。この戦後の寮祭に、あとになつて思えば、この旧制高校の卒業生である当時の「三井の大番頭」江戸英雄君や警察官僚であつた後藤田正晴君も来ていたのだらうか。彼らは政財界の重鎮となるのだが学生の頃には梅本克己のマルクス経済学など学んでいるのだから小泉、安倍といつた若輩者との格の違い。さう思ふとこの朝日の連載、旧制高校の物語通しての中曽根大勲位のヨイショも当然、保守の断層化狙つての「新」自由主義への朝日なりの政治部の「運動」なのかも。勘ぐりすぎだが。……で本日。出かけても早晩に市場に寄り食材仕入れ真つ直ぐ帰宅の日々続く。ドライマティーニ一杯。鯵を焼いて食す。最近、夜も九時過ぎると睡魔に襲われる。NHKのニュースで愛知万博。参加者が芝生に打ち水して打ち水の気温低下の効果測定、って万国博覧会ですよ。ためしてガッテンぢゃないのに。使い捨てのランチボックスの容器もトウモロコシのパルプ使つてます、と自然に優しそうだが容器の説明が日本語だけ、で国内博。博覧会というより明治の昔の勧工場の如し。新聞読み。かねがね気になつていたのが酒樓、酒家、飯店、茶樓、茶室の区分け。唯霊氏が信報で書いている。戦後は区分けが緩くなつたが戦後でも昔は毎年九月一日に港九酒樓茶室総工会の例会があると香港中の「酒樓」と「茶室」はこの日は休み。酒樓は茶市を設けず、茶樓と茶室は当然、酒菜は置かず。茶樓といへば上環と中環に名店多く高陞、蓮香、慶雲、龍泉、得雲、萬國、添男、得男、第一樓、清華閣など。同じく飲茶でも大同、金龍、銀龍、金城は酒家(酒樓は茶を供さぬが酒家は別)。酒樓でも遅れて開業の月宮、京華藍天、建国、金寶、夏恵などは夜総会(ナイトクラブ)で前述の九月一日は休まず。上述の蓮香樓と陸羽茶室は戦前の開業で蓮香樓は広州で開業の百年老店。元来は「姑蘇館」で小酌の酒肴供したが民国の時代となり花柳業やめて茶樓に専念。茶樓の全盛期は朝、昼、晩と三市の繁盛で晩は晩で「附設歌壇唱女伶」と賑わつたのも半世紀も前の話。「飯店」は粥粉飯麺に小料理を供応の小食肆。華人行の楼上に大華飯店という高級店があり名が「飯店」なのが当時は首を傾げた、と唯霊氏。「飯店」といへば「阿一鮑魚」で世界に名を馳せる楊貫一が営む最高級の「富臨」が最も格式高いはずの「酒家」を名乗らず「富臨飯店」なのは楊貫一氏が若かりし頃に修行したのが大華飯店であるため「有点飲水思源之意」なり、と唯霊氏。なるほど。ところで「有点飲水思源之意」は何と訳すか。「飲水思源」は文字通り「水を飲むはその源を思う」で、この故事成語は「その実を落とす者はその樹を思い、その流れに飲む者はその源を思う」といふ北周の詩人・癒信の「徴調曲」という詞からだそう。で「有点飲水思源之意」を訳そうとすると、楊貫一の富臨が敢えて飯店に執るのも「飲水思源」といふことか、と。これを訳すには「その飯店への執りも大華飯店で働いた昔を思つてのことか」と具体的にしか訳せず。具体的であることの野暮。文雅といふものがない。漢語の「有点飲水思源之意」が文雅もつて訳せず。
▼蘋果日報に「大馬酒店住房證出現辱華圖案600中港旅客抗議被畫豬頭 」と一面トップ記事。これも端的なる漢文の美事さ。日本語にすると「マレーシアのホテルの宿泊者カードに中国を侮辱する絵が描かれ六百人の中国と香港の旅行者が豚の顔が描かれたことに抗議」なのだが日本語では長すぎて見出しにならず。事の次第はマレーシアの観光都市ゲンティン(こちら)はイスラム圏にあり博奕場まで設けた総合アミューズメント都市(こちら)で野暮の局地だが野暮な場所には野暮な観光客が鳩るわけで宿泊施設も一応「五つ星」のゲンティンホテルから(宿泊費は一応一泊二百米ドル)安ホテルまで提供。で問題のホテルは三つ星のファーストワールドホテルで一泊三、四千円程度。ここに海外旅行がブームの中国から田舎者の団体旅行が押しかける。折角の楽しい旅行のはずが朝食のビュッフェにて宿泊料金に朝食込みであることの確認のためだろうが宿泊者カード(チェックインの際に鍵をいれて渡される部屋番号書かれたアレである)を給仕が客に提示求めるのだが給仕は中国からのツアー客だとそのカードに豚の顔を描く。どうやら「この連中は中国から」で「言葉通じない」とかのいずれにせよネガティブな意味の印らしいが怒つたのはこの団体客。民族の侮辱だとホテルのロビーに座り込みホテル側の謝罪求めること八時間。中国国歌合唱し嗚呼、愛国の団結心。首都より中国大使館の外交官まで駆けつけホテル側と対応協議し一人あたり二千円ほどの慰謝料払うことで和解とか。ホテル側は差別や侮辱の意図はなく客が不快に思つたなら遺憾、と。さもありなむ、の話。侮辱もあろうが民族感情より野暮な団体客への不快感か。薄利であるのにビュッフェとなると大騒ぎで食べきれぬ量を皿に盛つて喰い散乱し食べ残し、など想像に易し。陶傑氏はこれを小農と嗤ふのだろうが。同じこのテの客なら中国人なら豚の顔、日本人なら猿なのだろうか。印度人だとターバンの絵とか。それにしても座り込んで「立ち上がれ、汝ら奴隷になりしこと願わぬ者たちよ!」と歌うとは。生まれた時からどっぷりと精神に染み込んだ愛国主義か。でも義勇軍行進曲であるから「この場に似合う」わけで我が国の「君が代」では座り込んで苔が生してしまふ。