富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月廿一日(木)朝五時起床。朝刊もまだ配達ならず『敗北を抱きしめて』続き読む。昼にハッピーバレーで画像は馬道。かつてハッピーバレー坂上のジョッキークラブに厩舎あつた当時は水曜の夕刻ともなると厩舎からこの馬道通り競馬場まで厩舎員に引かれて馬が通ふ。我がハッピーバレーに住んだ十数年前にはまだ見られた光景。早晩に驟雨。知人のお通夜ありホンハムの萬國葬儀館。拝霊。雨あがりタクシーで尖沙咀。バーWに寄りウォッカレモン一杯。通りがかりで尖沙咀の東英大廈の画像。築四十年以上の尖沙咀の有名なオフィスビルだが老朽化で取り壊し決定。余計な意匠を用いぬ洗練されたモダニズム建築。ネイザンロードに面した入り口の照明からして美しい。四十年の間、ほぼ原型を留めた階下の商店街。階上の医療クリニック階も含め、この廊下の幅など今の営利主義では考えられぬ贅沢。バブルになる前の建築の美しさ。今でこそ古いビルディングの代表格のようだがYKKであるとか大阪の商社モリトなど数多くの日系企業がかつてこのビルにオフィス構えたもの。数軒となりのミラマホテルが出張者の宿泊に便利で当時はこのミラマホテルにあつた日本料理・金田中であるとか懐かしいはず。バンコクよりY氏夫妻来港中で夫妻と雲陽閣川菜館に食す。かつては辛いもの好き自認していたが最近は年の所為か食もあまり進まず。午後十時には早々に帰宅。帰宅の道すがら雲の合間に満月。
週刊文春トップ記事特集は「安倍総理でないと自民崩壊」ポスト小泉で(安倍)4割の支持、と(嗤)。一瞬「安倍総理にすれば日本崩壊」の間違いじゃなかろうかと思つたが、小泉首相の「自民党をぶっ壊す」に共鳴した国民の八割である、政治がよくなるなら自民党が崩壊して政界ガラガラポンがあつてもいいと思うではなかろうか。自民党が崩壊してしまふと困るのはとうの文藝春秋であり安倍晋三支持も文春世論。文春がこれを載せるのは実際に自民党のなかで流れが「次は安倍」どころか「経験不足で次の次」とする安倍期待論も実際には下手すると、この流れでは「次の次もなし」となることへの警戒感だろうか。
人民元切り上げ。わずか2%だが今後の動きへの序曲の如し。ロンドンでの爆破テロ第二弾の報道排け人民元切り上げがニュースのトップ。人民元。若い頃に大陸放浪した頃にはまだ中国人民銀行人民元中国銀行発券の外匯(FEC、兌換券)あり。外貨との両替で入手できるのは外匯で人民元と外匯はタテマエでは等価だが実際には1.7倍だかの闇レートあり。外国製品なども売る友誼商店は外匯しか使えず当時も北京や上海、広州などの都会では外匯の需要高い。逆に外国人は外匯が日常生活で使えぬか使えても1:1の公式レート。そこで外国人から外匯を得る闇市場あり。北京の王府井など歩いているとチンピラのような若者が「外匯、外匯」と声を掛けてきて路地に入り、警察の目を怖れる場合は小汚い公衆便所(当時の地面に穴掘っただけの強烈な悪臭と汚水)での両替。なかには外匯だけ取られ逃げられる場合もあり。地方都市では外匯の需要もないどころか外匯の存在すら知らぬ者もあり人民元が財布で底をついて仕方なく外匯を出すと「こんな札は知らぬ」と都会でなら喉から手が出るほど欲しい外匯も偽札扱い。吉林省長春に滞在していた時にバックパッカー仲間の英国人のT君が北京からソ連のモスクワまでシベリア鉄道で旅すると葉書で報せあり。長春の站で、この列車は中国国内での途中駅での乗客の乗降はないが長春にも乗務員の交替か燃料、食糧などの積み込みかで停まるらしく、どうにかT君に別れ告げたいがまさかホームに入ることなど密出国と思われるがオチで叶わぬか、と思つたが当時の大らかさで勝手にホームに入り、いつ来るのかわからぬ列車をひとりホームで待つていても駅員の咎めもなし。廿両編成近いのだろか列車がホームに入ると車輌の窓からT君が手を振る。列車を追ってT君と窓越しに再会。T君は「富柏村(って当時は名はないが……笑)、米ドルを二百ドル持っているか?」と。おいおい、まさかここで金の無心か。このあといつ会うかもわからぬ、こちらとて貧乏旅行者なのに」と一瞬落胆したのだがT君は「早く、米ドルを出せ」とT君の手には何か赤色の札が……って人民元じゃなかろうか。T君は余が東北の放浪で人民元に欠いていること察し北京で人民元を調達してきてくれたのだ。感謝感激。懐から米ドル出して窓越しに闇取引。「それじゃ、元気でね」とT君。列車は満州里の国境に向けて走り出す。もう二十数年も前の話なり。それにしてもT君の温情。余が長春の站でT君とランデブーできるかも確かでなく、ましてや余が米ドル携えていなければT君は等価の米ドルを受け取れず。長春駅前の安宿に泊まり(本当はその旅館に外国人の宿泊は不可。だがシャープのカラーテレビを入手したが故障で部品調達できぬといふ職員がおり彼女が余が日本に帰つたらシャープのテレビ部品を調節できぬかと相談あり応じる代償に安旅館への違法滞在可となる)流石に貴重品を手放せず站に友を送るにも腹巻きに現ナマ据えていたのが幸い。それにしてもT君は余に站で再開できねば人民元持つたまま旅を続けることになり外貨と両替できぬのだから紙屑同然。なんというリスクを背負つての余への人民元提供であつたことか。紙屑といへば今でこそ人民元切り上げがこれほど世界経済で話題になり香港でも堂々と人民元通用するが十数年前など人民元はボロボロに使い回された小汚い紙幣にすぎず。広東省への小旅行に日本政府の某国立銀行(って日銀か……笑)の方と同行した際に余の財布に人民元があるのを見て「あ、ずいぶん紙屑が入ってますね」と笑われたことあり。それが今では、の話。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/