富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月廿日(水)朦霧甚し。蘋果日報巻頭に「警遭割頸」と大きな見出し。漢語の見事な表現。大きな写真。警官が喉を割かれ血がどくどくと溢れ制服を血で染めるは三島由紀夫が見たらさぞや興奮するであらう姿。この惨事に至る経緯はこの警官独り長沙湾の市街警邏中に不審に思えたのか一人の青年に職務質問し香港身分証提示求め身分証の記載事項をば本部に無線で確認中のところ青年刃渡り五吋程の刃物で警官の喉割いて逃走。警官一命取り留め青年は五時間後に自首。聞けば神経衰弱か「恐怖症」で殊に警察への怖れひどく護身用にとまさに守り刀いつも携帯。その青年が偶然にも警官の目に留まり職務質問され気が動転し護身用の刃物にて警官斬りつけ逃走するが警察の更なる仕打ち怖れたのか自首。偶然に偶然重なつての出来事。警察はこの事故でさらに警邏など警戒強めるのだろうか。フーコー的な権力装置と精神の病の係り。早晩に久々にFCCに独りドライマティーニ二杯。Contaxのデジカメ故障中にあつてニコンD70S試写。晩にZ嬢と銅鑼湾で食事となり十年ぶりかで某インドネシア料理屋。老舗だが隣の北京料理屋松竹楼とともに(って書いたら匿名性もないが)「市街開発のなかでいつ潰れてもおかしくない」状況にあつたが松竹楼はその羊肉のしゃぶしゃぶが惜しまれつつ閉業したのに対して、この印尼料理屋は経営者の若い息子三人が心機一転で経営学を修めた長男、次男が建築で内装担当し三男が店の営業だか店も今様に改装して人気復活。かなりの人気だが料理は全くいただけず。お勧めといふ牛タンは臭くて残したほどの失望。七時半すぎには帰宅。相変わらずの閑かな日々。ダワー著『敗北を抱きしめて』読む。なかなか読み進まぬがかなり面白く熟読ゆへ。戦後の憲法制定についてキョービ我が国は一言で「押しつけ憲法」としているがダワーの詳細にわたる分析によるとマッカーサーの司令部は当初、旧憲法改正を日本側に促し近衛公爵だの松本烝治に憲法草案の作成を託すのだが司令部側にしてみれば(これを「米国側」とはできず)日本側の対応を見る限り日本側が正式に受諾したにもかかわらずポツダム宣言の意味を理解しておらぬこと確かで不安は司令部が引き上げたあと戦前の日本に戻らぬ体制づくりの困難。例えば松本の憲法草案に加わつた美濃部辰吉博士ですら明治憲法の改正急ぐことは不要、占領下での改憲は不適切、日本の失敗は憲法の真意の曲解であり天皇を神聖不可侵とするのは欧州の憲法にもある文言であるとする(ところで美濃部博士は天皇機関説でまるで反体制のように思われもするが寧ろ天皇制を天皇機関説により近代国家体制に合致させることの大切)。進駐軍は本来であれば国民レベルで憲法修正の気運盛り上がり選挙で憲法起草委員会の選出などが理想的だが現状はポツダム宣言の要求満たした憲法草案の日本側による作成は無理と判断し憲法草案作成「指導」することを決定。なぜ草案作成急ぐかといへば戦勝国による多国籍の極東委員会の対日理事会の結成が迫るゆへ。司令部が最も懸念するのは天皇の地位。対日理事会には豪州や中国など天皇の戦争責任を求めるであろう空気があり国内にも共和制実施(つまり天皇制廃止)の世論、共産主義の人気も少なからず。その状況で司令部は早急に憲法草案を作成。天皇制の護持のため、それ以外については「かなり左に舵をとった」内容を日本政府側に受容するよう打診。日本側はこの草案を受け入れ具体的な憲法作成を始める……とこの経緯を見れば、自主憲法の制定ができなかつた原因には日本側が当初の機会失つたことがあり次に「押しつけ」憲法天皇制の維持といふ最大の意図があつたこと。もしこの憲法草案受け入れねば対日理事会や国連の采配で「國軆」の維持も難しかつたこと。つまり「押しつけ」を受け入れたことで皇室も國軆も維持できたのだから保守反動右翼の諸君は、現行憲法を本来は崇め奉るべき。
▼昨日の蘋果日報の陶傑氏の「ダウニング街故事」なる一文面白い。倫敦がテロに怯えつつも冷静な様はいかにも倫敦的、と陶傑氏が紹介するのは1991年のにダウニング街十番地(首相官邸)が愛蘭共和国軍の爆撃にあつた時の話。この日メイジャー首相は官邸の戦時内閣室にて閣議の最中。外務次官が首相にペルシア湾歴訪の報告の最中にロケット弾打ち込まれ二発は不発で三発目が首相官邸の裏庭に飛んで窓ガラス割れる。内閣成員みな卓下へと身を隠す。その卓下にて首相メイジャー君曰く“I think we'd better start again somewhere else”と。この「どこか他の部屋で話を続けようか」に内閣同意し十分後に隣室の内閣事務所にて会議継続。このテロ行為はこの日の閣議の記録には“A brief interruption to the war committee of the Cabinet took place”の一行加えられたのみ。いかにも英国らしい話。アイルランド共和国軍のテロになど動じぬといふ空威張りも佳し。で話はブレア君。メイジャー君のあとを襲い首相になつて一年後の労働党大会でのスピーチで打ち明け話は「首相になり最初に教えられたことは核弾頭発射のためのコンピュータ操作について、で次にパスポートを返却した。それ以降はパスポートなしで世界中を旅行している」と。陶傑氏曰く、ブレア君若い頃の労働党といへばその首相になつて扱いにウキウキの核弾頭の整備に反対したのが社会主義信奉する当時の労働党。立場的には親ソで英米政府に対して核廃絶訴えたのが今では労働党のブレア君がこの核弾頭発射の暗号装置のはいつた革鞄を携える。ロマン的な空想家がこのダウニング街十番地の主人となつた瞬間に一人のPoliticianとなること。ブレア君首相に当選し初めてダウニング街十番地訪れた日、すでに前の主人メイジャー君は搬走のあと。がらんとした部屋の書卓の上にリボンが結ばれた一本のシャンペン。ブレア夫妻にメイジャー君からの贈り物。カードには“It's great job - enjoy it”と。大人やなぁ。(英国首相が責任担う)民主、自由、そして首相であることの快楽とは何か?……それが時としてお好みのシャンペン一瓶にすぎないのかも、と陶傑氏。
朝日新聞に核問題について中曽根大勲位へのインタビューあり。拝読。日本は非核を貫くべきで核保有国に対して軍縮を迫れ、と。御意。本来であればこの平和主義こそ日本が世界に誇るべきで、それでこそ我が国が国連常任理事国にになることを世界各国が推すべき事由となる。廿年前にまだ六十代と青年将校・中曽根君が総理就任の頃に「戦後日本の総決算」などと雄叫びあげすわ改憲かと岸君以来の保守反動かと当時思えたが今になつて思えば「自民党をぶっ壊す」どころか「戦後の日本をぶっ壊す」小泉三世に比べて大勲位の知性、良識、そのリベラルぶり。

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