富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

五月十九日(木)曇。晩に九龍にて工作任務あり早晩中環FCCに独り食す。FCCのラウンジに連日の如く老婆の姿あり。メイド連れいつも同じ卓に坐り白葡萄酒を一杯。テレビモニタにはBBCのニュース番組いつも流れ音も聞きたき客ヘッドフォン借り無線で聞く仕組み。老婆が席に坐れば黙つていてもヘッドフォン供されぶつぶつとつぶやきながらニュース聞くような聞いておらぬような。連れのメイドに今、何時だ?だの食事の用意は?だとの続け様に質すのだが耄碌ゆへか「さっき聞いたじゃないの?」の如き事多くメイドも主人への態度横柄で老婆の傍らで暇そうに新聞眺め時間潰す。素性知らぬままであつたがいつも坐る卓についに「この卓は朝八時から十時、午後四時から十時までミセスH某が予約されています」と掲示まであり。なぜこの老婆ばかり厚遇なのかと訝しく、すぐにラウンジのネット上にて彼女の名を検索せば、この老婆がかの名高き戦争報道記者のClare Hollingworth女史と知る。第二次世界大戦の開戦の第一報報じた伝説的記者(ご本人の回憶はこちら)。1911年英国生まれ。廿八歳で英国紙デイリーエクスプレス特派員としてワルシャワに駐在。英国総領事の自動車借り偶然にドイツ国境ドライブしたのが歴史的な1939年9月。戦車の列。ナチス=ドイツ軍のポーランド侵攻。彼女は倫敦の新聞社に緊急で電話でこの大事伝える。彼女の急報聞いた総領事も倫敦に至急電。第二次世界大戦勃発。その後も彼女東欧に駐まり戦争報道続けヴェトナム戦争でも報道で活躍。足場がアジアとなり香港に長く住まわれる契機となつたと解す。現在九十五歳で矍鑠たるもの。これ程の記者であれば敬意表しFCCの卓が約されても当然と理解。連日、晩に村上春樹の短編集読むが村上知らずの余も題名だけは知つていた『TVピープル』だの『中国行きのスローボート』など読んでもいつこうに興趣沸かぬどころか何が書かれているのかもさつぱり理解できず。余の感性の乏しさか。ジントニック数杯飲んで寝る。
▼香港政府公民許行く委員会の作成で各テレビ局(中文台)にて晩のニュース番組の開始にあたり放映義務づけられている<心繋家國>なる愛国心強要「洗脳」ビデオクリップは中国国歌勇壮に演奏されるが従来45秒であつたものに新たに15秒、芸人ジャッキー=チェン君ら出演の部分加え1分物に延長。国歌の歴史的意義、曲や歌詞の解釈や国歌の法的地位など解説がありジャッキー=チェンが国歌の重要性説くそうな。昨日このお披露目あり公民教育委員会主席は国歌の尊厳語る際に内地にては娯楽活動などで気軽に国歌歌い奏でることも法規に抵触することなど紹介したが記者から「すると国歌をば気軽に口笛で吹くことも娯楽活動か?」と質問あり。これは曽蔭権君が董建華君より董本人の行政長官辞任と曽君への代理職嘱託告げられた際にその会議に向かう曽君が満悦の笑みで口笛吹く姿あり。曽君の粗忽さで後日その口笛吹いた曲が中国国歌だつたと而も懇意の民主派議員に告げる浅薄さ。記者の質問はこれを踏んだもの。公民教育委員会主席の香灼幾君は実は曽臨時行政長官と義兄弟の杯交わした程の間柄でさすがに「あれは公開場面ではなかつた」と逃げ口上で「勘弁してくれ」と(笑)。時と場合によれば娯楽気分で国歌を気軽に口笛吹いただけで内地にては違法となること。で中国国歌は義勇軍行進曲。1935年制作の抗日映画「風雲児女」の主題歌。
起来!不願做奴奴隷的人門!
把我門的血肉、築成我門新的長城!
中華民族到了最危険的時候、
毎個人被迫著発出最後的吼声
起来!起来!起来!
我門万衆一心、冒著敵人的炮火前進!
冒著敵人的炮火前進!前進!前進!進!
 立ち上がれ、汝ら奴隷になりしこと願わぬ者たちよ!
 我らの肉と血で我らの新しき長城を築かむ!
 中国の民族が最大の危機に直面せし時、
 各々より行動がため危急なる呼び声発し出る
 立ち上がれ! 立ち上がれ! 立ち上がれ!
 我ら万衆一心に敵陣の放火に挑み前進せよ!
 敵陣の放火に挑み前進せよ!前進せよ!前進せよ!
といふこの曲は作詞が田漢、作曲は聶耳。聶耳は国民党の反共策で中国追われ日本に亡命。当時やはり亡命で日本に在つた田漢と出会い田の書いた歌詞に曲をつけ、それが反日映画主題歌となる皮肉。この曲は共産党の抗日兵らに歌いつがれ中華人民共和国建国の直前1949年9月21日に開催された中国人民政治協商会議にてこの曲が「代」(つまり暫定)国歌(参照)となる。いずれ正式に国歌制定までのはずが生き延び78年には文革の最中、歌詞も毛主席賛歌に変えられたが82年に田漢の原作の歌詞に戻し人民代表大会で正式に国歌と制定。で作曲した聶耳はこの曲を作り曲が抗日映画主題歌となつたその年の七月、神奈川は鵠沼海岸での海水浴で溺れ翌朝遺体があがる(こちら)。で田漢は中国に戻つたが文化大革命で右派として吊し上げくらい逮捕され68年に獄死(79年に名誉回復)。田漢の無念思えば国家とは実に恐ろしいもの。「君が代」同様にこの曲をそう易々と国歌として讃美し難し。
▼中環では泰昌餅家の閉業に続き今度は路上営業八十年の老舗「民園麺家」閉業の危機(蘋果日報)。路上だろうが軒先だろうが七年だか八年その場所占拠し撤去命令受けぬ場合は占有権あり。だがこれも規則決まつた際の既得権者だけの話で今からはまず無理。しかも既得権は当事者一代のみ。民園麺家も既得権者逝去し今月廿二日で営業権失効と政府当局より通告。香港でも今では少なき路上営業で風景の一部と化し評判の老舗ゆへ営業権執行につき注目あり。(画像は〇三年五月に食した折のもの)