富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月廿七日(木)諸事忙殺され晩十時すぎに尖沙咀の源記の一つにて牛南面食す。帰宅してワイルドターキー飲み臥床。
勘九郎君の、余の母には未だに子役の頃からの勘九郎ちゃん、の勘三郎襲名につき久が原のT君よりメールあり。松竹の最近襲名興行自体豪華すぎるといえば豪華すぎなれど勘三郎は座元名とはいへ上方から江戸に下りし歌舞伎の草分けの言わば根元根本の大名跡團十郎よりもある意味大きい名と思へばですから現團十郎襲名の三ヶ月連続と伍しても決しておかしくはなし。今回の襲名狂言建ては寧ろ考えているほう。三月に時代物を二本、既に手心のある大蔵卿と本興行では初演の盛綱を配した周到さと決意。更に三島歌舞伎の中で現在まで生き残つた稀な例たる鰯売。かなりドッシリした本格派の襲名狂言と言うべき。他演目がこれに比べれば劣ることは劣るものの團十郎襲名の幸四郎の太十、雀右衛門團十郎娘(=近江のお兼)に比べれば真っ当。今回あまり「豪華」の感がなきこともそりゃあ歌右衛門も先代の仁左衛門松緑勘三郎もなき当今の事情を考へれば籠釣瓶で玉三郎の八ツ橋に魁春の九重、仁左衛門の榮之丞に段四郎の治六は十分に豪華。勘九郎君についても「勘三郎の声色」という点だけで見るのは如何なものかとT君。昨年四月の弁天小僧など嫌な入れごと一切なくキッカリ規格正しい演技は晩年の勘三郎の恣意とはほとんど対極の真面目さ。中村屋、放つておけばどうなるかわからぬ遊戯性を何か動物的な直感で「正道」に振り戻す感性・良識あり。殊に昨年一ヵ年の間かうした「知性」が藝に発露するようになった深化をば認めるべき、と。御意。
公明党のおかげ?にて教育基本法「改正」見送り(朝日)。
▼NHK会長退任の海老沢勝二がNHK顧問就任(朝日)。さもありなむの院政の始まりか。
▼多摩のD君より。三多摩地域の自治体によるゴミ処分組合に関する情報公開条例の制定につき組合の管理者たる武蔵野市長、市議会での答弁にて条例制定を拒否。市民からの要望に拒否の理由は市長曰く「情報の提供は積極的にする。しかし、情報公開条例で開示請求権を認めると、開示請求権が乱発されたり、一部非開示に伴う行政訴訟が起こされる。こうしたトラブルを作る必要はない」とホンネだろうが、これが議会答弁だと思えばいかに小泉登場で「言葉で語ることの重みがまったく失われている」とD君。小泉的言説では(言説といふのも烏滸がましいが)くイラクへの自衛隊派遣も町内会のゴミ収集場の問題もすべてこの低レベルで返答可。例へば幼児が親におやつは自分でちゃんと量を考えて食べるからと約つても「おやつは自分できちんと決められた量だけ食べることにしてもいいけど、どうせ約束守れないんだからダメ」と「憲法で第9条あつても現実には即しておらぬのだから改憲」がほとんど同じレベルでの判断。これぢゃ世の中、社会契約は成立せず。米国が「国連で決議しても自分は守らないから有志連合」もこれ。「誰かが守らないから」ぢゃなく「俺が守らないから」って言い切ることの深刻さ。もう一つD君から興味深き話は犯罪被害者の会の弁護士だかが「改憲して犯罪被害者の権利を憲法に書き込め」と主張。犯罪被害者の権利と憲法改正が関係あるとすれば「憲法の×条の規定があるから犯罪被害者の権利が守られてない→だから×条の規定をこう変えよ」であるべきところ現行憲法のどの条文が犯罪被害者の権利擁護を妨げてるのか。これは法律の話のはず。現行憲法下でも13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」に基づき犯罪被害者援護法を制定しろ、ということなら理解可。なぜ憲法にこれを加えねばならぬのか。そう改憲気分で「あれも、これも」は如何か。これでは北朝鮮拉致被害者に関しても憲法に盛り込まねばならず、かも。憲法の溶解。現実に自民党憲法案には「日本国、日本人のアイデンティティ憲法の中に見出すことができるものでなければならない」だの「国民の利益ひいては国益を守り、増進させるために公私の役割分担を定め、国家と国民とが協力し合いながら共生社会をつくることを定めたルール」とかあり、これは本来の普遍法としてのConstitutionの話に非ず。

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