富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月廿六日(木)多忙極まりなし。晩にZ嬢と湾仔に待ち合わせ三六九飯店にて上海料理。店員の慇懃さ、古く雑多な内装でも物置や洗面所の清潔ぶりなど感心。白切羊肉、芙蓉蝦仁と芥蘭炒め。濃霧ひどし。九龍の対岸どころか湾仔から中環のビルすら霧に曇る程。今晩は沙田の競馬、おそらく観戦席よりスタートも霧で見えぬのではなかろうか。湾仔の展覧会議中心にてStingの公演参観。余にとつては88年の武道館以来二度目。Stingは当然の如く日本ツアーの帰り。9日間で7公演し而も武道館での3連荘から中二日置いての強行にも53歳の御大は精悍そのもの。香港公演初めてと思えばSting本人MCで照れながら曰く80年に一度、香港にてライブ開催あり当時まだ十代で(笑)覚えていないが場所はNew World Discoだった、と。尖沙咀のNew World Centreに確かその名前のディスコあったが80年にすでに尖沙咀沿岸の「再開発」であのビルが誕生していたかどうか。いずれにせよPolice時代に香港のディスコでライブとは時代髣髴。Policeの頃からStingに馴染んだ余も実は87年の“Nothing like the sun”と翌年のこれの西葡語版“Nada Como El Sol”までで91年の“Soul Cage”以降はCDこそ有しても愛聴とはいへず余には新曲?も少なからず。他の観衆も青春時代をばPoliceで育ちその後八十年代末までStingにハマったらしき御仁多く九十年代以降の曲になると一瞬「退いた」感あり。バンドはStingがベースでギター、ドラムにキーボード、シンセサイザーとボーカル2人というこぢんまりだが流石にその音の重厚感は音響悪しきこの会場でも敬服もの。Police時代の曲では何が足りぬかといへばドラムが走らぬこと。バンド阿Qがアマチュア時代にリハでP-sukeさんのドラムが走りがちでTaracoさんが「Pちゃん、うちはPoliceぢゃないんだから」などと言った台詞だの、ギターのダイテツ君の車のカーステレオでいつもPoliceとStingの曲が流れていたことだの、“Nothing like the sun”は日本での発売前に輸入盤をば仙台のピーターパンといふ音楽喫茶にて届いたばかりの新譜の封切られたLPに針を落として聴いたのが初めてだったことなど、一曲毎にいろいろ八十年代のこと思い出す。翌年に“Nada Como El Sol”を聞き当時豪州のパースで仕事中のO氏に、このアルバムはO氏きっと好きであらうと郵送せば数日後に「バリバリにキメてた」O氏より超ご機嫌なお礼の葉書受け取る。昔のこといろいろ思い出しながらStingを聴き続ける幸福。余の一生にてもはや叶わぬ希望はRed Zeppelinのライブをば見れなかったこととPink Floydの88年だったか東京公演を見逃した失態。91年だったかフランクフルトでもわずか数週間違いの訪独にてピンクフロイドのフランクフルト公演逸す。Stingの公演終わって一万数千人の客一気にこの会場から出れば展覧会議中心は海に突き出たデベソ=拡張エリアで客が階下に出る導線をばいくつも封ぎ必然的に旧館のグランドハイアットホテル側の正面玄関に客は集まる。広い階段でもあればよいが全てエスカレーターで而も四階分だかを踊場で回り込みエスカレーター乗り継ぐしかなく狭い踊場も混雑し上から降りてきた客が踊場でエスカレーターから降りられず次から次と上から客はエスカレーターで降りてくるので圧せられる危機的状況。恐ろしきかぎり。
▼所属するランニングクラブのHPを「ブログ化」する作業。予想以上のブログ作成の容易さ。畏友らのサイトも尽くブログとなっている現状。ブログ作業、編集の容易さ、そして何よりもブログの「見やすさ」と様々な人が閲覧の機会増えるネットワーク性を思えば余のこの日剰のブログ化も検討要すところながらこの日剰はブログと対極にあり興味ない記述も全部読むこと強要される点が良くも悪しくもこの日剰の特徴でありブログといふ半ばフォーマットの企画統一までされた一種のグローバリズムに抵抗することも一つ意義もありかと思ふ。
▼築地のH君より勘九郎君の勘三郎襲名について。勘九郎の絶好調は事実、だがこの襲名が歌舞伎座で3ヶ月連続興業といふ大名跡の襲名なのかどうか疑問。演目に魅力足りず。余の母は「三月は仁左衛門の「保名」だけでいい」と口にするし、H君も三月に俊寛が、やはり先代勘三郎の当たり役ゆへだからだろうが幸四郎での俊寛は全く違う芸風?。で昨日の朝日夕刊に襲名興業のカラー全面広告あったそうで四月の「籠釣瓶」の次郎左右衛門、五月の「髪結新三」を勘九郎君宣伝用に扮装。それがH君に言わせれば「勘九郎が新三に扮してる」のではなく「勘九郎が新三をやってる勘三郎に扮してる」にしか見えない、と。他の役者の芝居の真似させたら絶品の器用な勘九郎であり勘三郎の声色も当然、父であるから上手。

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