富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月廿四日(月)曇。紀伊国屋より決定版と銘打つ三島由紀夫全集の第39巻と第40巻、それに第41巻のCD届く。三島の小説読みたきものおヽかた読んでしまひ、かといつて鴎外荷風露伴の如く全集で揃へたいかといへばさうでもなし。ましてや余に戯曲を読む習慣もなく唯だこの全集で気になるは対談上手と評判の、三島のこの二巻の対談集。更にCDは三島の戯曲「わが友ヒットラー」と「椿説弓張月」の朗読や講演「我が国の自衛防衛について」など収録され五千八百円は高いかと思ったが入手してみればCD七枚組で芝居見ること思えばお値打ち。三島が歌う大映映画「からつ風野郎」まで収録されており作曲とギター演奏が深沢七郎といふのがいい。早晩に独りFCCにドライマティーニ二杯と赤葡萄酒一杯飲む。新聞と読書。北京にては趙紫陽の追悼デモをば五千人参加で正式に政府に申請の者即刻拘留。憲法にて自由なる言論とデモも認められたこの国でこの者の罪状は「デモ申請は開催日の七日前まで」の規定に抵触、と。これは拘留理由にならずたんに申請不可で済まされるべきこと。趙紫陽邸のある北京王府井の胡同には公安が常駐し弔問に訪れる者の身元確認など忙しく、かつて趙紫陽の農業改革の恩恵受けたと地方の村から集団で弔問に訪れた村人らも集団で一旦拘束され身元、思想調査など続く。恐ろしき一党独裁の国家なり。雑誌『世界』1月号は戦後60年特集よか実は五十頁程の中東イスラム政治特集のほうが充実。アジ研の酒井女史のイラク政治論は現在の米国指導の「平和」改革がいかにイラク社会の現実に合致しておらぬかの検証。芝生瑞和の「アラファト以降の中東和平」は実に平易で門外漢にも理解可。この雑誌で「韓国からの通信」をTK生なる匿名にて十五年連載の池明観氏による回顧録「境界線を超える旅」が連載六回目で核心となる金大中羅致からこの池氏の世界編集長安江良介との出会い、連載の開始について語る。その金大中が総統の地位につき過去のこの羅致とKCIAの工作の真相をかなり知れる立場にありながら敢えて公表せずに終わったことを池氏は現代史の謎といふ。ジャーナリスト和仁氏来港で中環の京味居で晩餐の予定が銅鑼湾謝斐道の妹記となり週刊香港の元編集長でフリーライターのK氏この妹記先に訪れ丶ばすでに廃業。和仁氏、K氏とZ嬢で隣りの喜記にて粥だの食す。美味。銅鑼湾の高層ビルの間に明日が満月の佳月。一更のうちに食事も済み和仁氏と別れ三人でBar Seedにて軽く一、二杯。鳥居民(鳥・居民に非ず、とりい・たみ、中国現代政治史研究)の『「反日」で生きのびる中国〜江沢民の戦争』(草思社)読む。タイトルで大方主題もわかるわけで「日本憎悪の運動を展開して、日本と日本人にたいする恨みと憎しみをつねに培養することによって、党こそが中国と中華民族を仇敵、日本から救ってみせたのだと国民を教化することによって、国民を掌握する力を取り戻し、党の落ちようとする威信を確保する」ことが江沢民の戦略であった、と、これはこの本の主題だが失礼ながら碩学鳥居民の分析を待つまでもなく常識といへば常識。階級闘争といふ概念が用いられぬから民族闘争へ、といふこと。それだけならこの本読む価値ないが、ここからあとが実はこの本の面白み。ポスト江沢民の中国政府が手を焼くのは、この十三年の江沢民時代にこの愛国教育で育った世代であり、彼らのインターネットで反日を合い言葉に団結(と鳥居は言ふが、これは「団結」といふより「鳩合」であらう)するパワー、それが党への帰属意識や熱烈支持でなく、欲求不満や加虐症。これを党国家が今後どう扱えるのか。もう一つ興味深いのは胡耀邦の再評価。江沢民を含む中国の指導者が毛沢東、登β小平とずっと敵を作ることで国内をまとめてきたのに対して胡耀邦は敵を作ることなく施政にあたったこと。中曽根大勲位の逸話から始まるのだが(大勲位の回想は何処か手前味噌でもあるが)一九八〇年の訪中で登β小平に「次の時代を取り仕切っていくのはこの二人」と紹介されたのが胡耀邦趙紫陽で、胡耀邦が党で、趙紫陽が内閣だ、と。で、実際に中曽根が首相となり胡耀邦との青年団三千名訪中だの日中友好病院建設だの日中蜜月時代となるのだが、中曽根が靖国参拝を中止した理由が具体的には中曽根の靖国参拝で中国では保守派の反発で標的となるのが胡耀邦胡耀邦の経済改革と自由化を暗礁に乗り上げさせないためにも、といふ高度な政治的判断で靖国公式参拝の中止。でこの時に対中外交に尽力したのが安倍晋太郎日中関係が実はこうした政治家同士の個人的な信頼など基盤にしていると思ふと、この阿倍の息子がしていることの浅薄さも明白。同じ靖国参拝首相でも中曽根と小泉三世の度量の違いも明らか。
NHKのワープドプレミア放送での世界の天気、香港の近くにKwang Chowといふ地名あり何処かと思えば広州。Guangzhouなら中国の併音表記であるしCantonならPekingと同じく列強割拠の時代からの広州=広東の英語表記。このKwang Chowはエール式だったか英語では散見されるが(Googleで16千件ほど)今どきGuangzhou(同250万件越)に比べてほとんど知名度なし。何故これを今でも使うのか、飛行機でのフライトインフォメーションで航路示す地図に香港の基準点がVictoria Cityと出ていたのに近い、感覚あり。ちなみにVictoria Cityも去年だか一昨年で消えてHong Kongとなっている。

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